Artist Interviews

増井淑乃 インタビュー  2011年

増井淑乃 インタビュー 2011 installation view from [ Goodbye Halo ] at Tomio Koyama Gallery Kyoto, 2011

► このインタビューは、オープニング(3月25日)当日、ギャラリーで行われたアーティスト・トークの模様を編集したものです。

——— 今回の展覧会タイトル「グッバイヘイロー」と同じタイトルの作品(<グッバイヘイロー>* 1 )がこちらにありますが、まずこのタイトルについてお聞かせ願えますか?

増井 「グッバイヘイロー」というのは、馬の名前です。競走馬で、アメリカでそこそこ活躍した馬です。今は完全に現役を引退して、北海道で余生を送っています。
題名ですが、作品を出す時のキーワードとして、競走馬の名前を出すことが多いです。私はどちらかというと気まぐれに描くタイプだったので、まず量産できない。今回で3回目の展覧会ですが、小さい絵しか出せていませんでした。その理由は結局、作品をコンスタントに頭の中から出せない、引っ張ってこられないということが一番大きな原因だったと思います。だからなんでも良いので、何かのキーワードからいつでも作品を発想できるようになろうと思いました。そのとき馬が好きだったので、競馬新聞等を見ながら、馬名をキーワードとして、その意味を考えたり想像することで、作品のアイデアを引いてこようと考えたんです。
私は静岡の焼津の出身ですが、作品は基本的に、そこで小さい時に見た色から引っ張り出してくることがほとんどです。ベランダから見た夕日がすごく綺麗でした。牧之原に夕日が沈んでいくんですが、それをずっと見ていました。そのときの感覚であるとか色というのは、今でも覚えていて、制作にあたってその色を、記憶の中から起こすということをします。でもその作業があまりうまくいかないんです。だから馬の名前から連想します。
(「グッバイヘイロー」には)「さよなら」という意味が含まれていますが、その馬名と過去の記憶とをパチンと組み合わせられた時に、作品として出すことができます。そういう面倒くさい方法を、私はとっています。でないとコンスタントに描けないからです。
人間がどうして絵を描き始めたのかはわからないですが、私の場合のきっかけは、小学校2年かそのくらいのことだったと思います。その頃田舎に住んでいて、近所に鶏がいて、その鶏と私は仲が良かったのに、ある日イタチに食べられてしまいました。そのときちょうど、小学校全体で鶏の絵を描くという課題が出されて、鶏は死んだので、なくなったものとして思い出をたどりながら描きました。そうしたらその絵がそのまま評価されてしまって、「この子は描ける子だ」というふうに周りが期待をしました。それからなぜかわからないまま、美術に携わることになってしまったんです(笑)。
私は算数も運動も全然駄目だったので、父親が過剰に期待をしまして、もうそれからは、期待に応えるために描くということが私の仕事でした。何度か辞めようと思いましたが、その度に結局誰かが見つけるので、そのまま美術をやることになって、ここまで来ました。だから、自分からなにかを表現したいのではなくて、まわりが見つけていったという感じです。小山さんが見つけてくれなければ描いていなかったかもしれないし、小学校の時の校長先生とか、そういう方がいなければ私はすぐに辞めていたと思いますし。それは奇跡というか、なんでこういうことになったのかな、というのは今でも思います。

——— 増井さんは多摩美術大学で、芸術学という、制作の方ではない学科で学ばれましたよね。

増井 そうですね。高校の時に、美術の方に進みましたが、私は全然デッサンの力がありませんでした。遠近に関する概念が全くなくて、いくら教えられても全くわからないんです。物の質感であるとか、何が何の前にあってというような(描き方の)ルールが、教えられても結局わからない。成績が、底辺の辺りを彷徨っていました。
でも家族がすごく私に期待をしていたので、美大に行けと。そして現役でなければ駄目だと。こういう状況になった時に、芸術学に行こうと思いました。すごく苦しみました。美術というものに対してすごく苦しんだのです。だからその答えを見つけるために芸術学に行こうと思って、大学にストレートで入って、4年間理論的なことを学びました。専攻したのは遠近法が嫌いだったので、東洋美術です(笑)。
美術に対して、「考える」時間が非常に長かったんです。身近なものとして接するというよりは、少し複雑な角度から見るようになったので。だんだんと美術館とかそういうところには足を運ばなくなって、結局、今は好きなものということで競馬場にだけ行っています。本当に一切美術館とかギャラリーには行っていないです。

——— 今回の作品は猫ですが、作品には大体いつも動物が入っています。過去には馬のモチーフが入っているものもあって、描くモチーフとして動物は重要なのですね。

増井 例えば最初に競馬場に行こうって言ったのは私の母親ですけれど、基本的に馬って美しいので、人間というものが全く信じられなくなった時に、そういう単純に美しいものに反応するということがあって。やっぱり馬は美しいと。小さい頃から好きだったんですけれど、府中で競馬場が近かったので、行ってみた時に、こんなに美しいものはないと思いました。だから、自分が美しいと思ったものにしたがって、今は本当に競馬場ばかり行っています。ポニーとかも好きですよ。

——— 今は節目の時期で、またこれから馬を描き始めるということをおっしゃっていたと思うのですが。

増井 今回が1つの転機だと思うんです。私はGEISAIでスカウトされましたが、そのときは、アウトサイダーアートの1つとしてスカウトされたという気がしています。アウトサイダーアートというのは、全く美術の教育を受けていない人とか、精神的な障害を負っている人が描くものです。私は自分が、その一端としてスカウトされたと思いました。当時アウトサイダーアートが流行っていたので、私もそれを期待されているのだと思って、しばらくやりました。ただアウトサイダーアートというのは、批評する余地がないんです。それを私は学校でさんざん学んでいたので、このままいったら終わると思いました。
それでどうしようと考えた時に、もう少し洗練させた方が良いのではないかと思いました。多分パーツは合っている。少し洗練させれば、アウトサイダーアートというくくりではなくて、違うところへもっていけるのではないかという感じがありました。だから、手で仕事をすること、普通に描くということを今回は目指しました。今の自分の作品は、おそらくアートとしての転換期に入っていて、色々なものが出尽くして、もう1回なにかが始まるのか、それともこのままいこうとしているのか、それはわかりません。
ただ私は、自分で新しいことをしようというタイプではなくて、わかるものを描きたいという気持ちが強いんです。理解の余地があるものを、美術として、絵としてきっちり描きたいというのがあるので、会場の作品もちゃんと描いています。なるべくデフォルメしないように。今のアートを見てもわからないという人が多いけれど、逆に私の絵はわかるという人が周りに多くいました。だから、方向性として正しいんじゃないか、というのはなんとなく思いました。今は断片的にしか美術の世界を見ていないですが、大きな流れとして、具象の方にかわってきているのではないかという気がします。だから、抽象と具象との間みたいな作風でもやっていけるのではないか、という狙いもあります。やっぱり芸術学を学んでいたので、そういうところは客観的に判断してやっている部分があると思います。

——— 次に、少し技術的なことについて教えて頂きたいのですが、今回この作品(<グッバイヘイロー>* 1 )が、特別な素材を使っていてデリケートだとお聞きしています。

増井 はい。セイヨウアカネの色素を下に敷いて、その上から絵具を重ねています。でもセイヨウアカネの色素はピグメントとしては廃盤になっているので、ウィンザー&ニュートンのローズマダージェニュインという色がありまして、それを使っています。それは定着しにくくて、上から少しでも水を落とすと、絵具がはげてしまいます。粒子が浮遊してしまうというような、そういう質の絵具です。これをあえて使ったのは、下地がゆるく、液状化現象を起こしているような状態の上から、撹拌しながら描けば、作品にエッジを出さずに、ぼんやりとした効果を出せるのではないか、という狙いがあったからです。それで、やってみたら上手くいきました。
色としては下地の色は、扱いにくいですが、非常にいい色です。それにいい匂いがするんです。花の色素から取っているので、バラみたいな、ゼラニウムみたいな匂いがします。浮遊する性質の絵具というのはあまりないですが、水彩と同じように下の色を透過するので、最終的にどの色にするのかを決めた上で、下地を作っていきます。
それから、アルシュという紙が一番一般的だと思うんですが、これは色をのせた時にトーンが下がるんです。少しだけ色彩が鈍くなる。なので色が鈍くならないものを探して取り寄せています。ファブリアーノ社の中性紙の極細です。

——— 続いてこの作品(<Orion on Sight>* 2 )は、とても苦労されたということですが・・・

増井 ええ。私は絵だけでは食べていけないので、会社に勤めていますが、これを描き始めた時に地震が起きて、会社から歩いて帰ってきたり、停電に見舞われたりと色々なことがありました。余震も起きるし、最悪でした。最初は海を描こうと思っていましたが、津波を見てしまったので、とてもじゃないけど海は描けませんでした。海にしないように、海にしないようにと思いながら、余震の中で搬入のギリギリまで描いていました。
この作品も変で、空気遠近法が正しくないんです。(空間的に奥にあたる画面の)上ほど色を薄くしなければならないんですが、濃くしてしまっているので、見た時にギャップがあると思います。結局遠近法がよく分からないので、画面の上を重たくして、下を軽くするということが、よくあります。しかも、絵を逆さにして描きます。逆さにして描くことで、大きい絵を描くことにも成功しました。動物はだいたいの位置を決めておいて、後から描きます。

——— コンスタントに絵が描けなかったということをおっしゃっていましたが、描けない時は何をされたのですか?

増井 楽しいことをしていました(笑)。とにかく美術から離れることが大事です。周りの人の絵を見ないで、情報を遮断すること。情報が頭の中に入ってきてしまうと、余計迷うんです。私はシャーマンタイプ、上から下りてくるのを待つタイプの作家でした。でも、神様がやってくるのを口開けて待っていてもどうにもならないし、なにがなんでも制作しなければならないこともあるので、訓練しました。
ほとんどの作品は小さい頃の記憶ですが、その記憶の構成とか、遠近とかは忘れてしまいます。でも色だけは覚えています。色を思い出して、パッとそれが噛み合えば、あとはもう一気に描きます。なので制作時間はあまりかかっていません。2/3くらいは考えている時間です。

——— 記憶というのは情景ですか? イメージですか?

増井 色とか、匂いです。今は東京だから全然面白くないんですけれど、昔は田舎に住んでいたので、田舎の土の匂いとか、秋口に変わる風の匂いとか、そういうものを色と一緒に覚えています。

——— ドローイングはしますか?

増井 ドローイングは、することはします。でも全然作品とは別ですし、たぶん見せたことがないです。

——— 猫のモチーフには何かきっかけがあるんですか?(<Sea Bird Park>* 3 < Two Days Notice>* 4 <Apapane>*5 <Diesis>* 6 <Midnight Oasis>* 7 <First Dawn>* 8

増井 作品に描かれている猫にはモデルがいて、この猫が死んだのがきっかけです。この猫は引越しをしたショックで亡くなりました。絵を描くには東京にいなければ駄目だとまわりに言われたので、家を売って東京に来たんですが、やっぱり田舎暮らしの猫を東京に連れてくるというのは、あまり良くなかったみたいです。1ヶ月くらいはうまくやっていたんですけれど、ある日帰って来なくて、すごく探していたら死んでしまっていました。そのときは本当に申し訳ないと思いました。
芸術っていうのは恐ろしいです。描くということは私に与えられた命令のようなもので、それは私の意志に関係なく、「まわりが描けと言えば、描きますよ」というのが私のスタンスです。わかりやすいものを描こうというのはそういうことです。自分のためではなく、まわりのために描いているので。
誰にでもわかるように描くということが、アーティストの務めだと思っています。

増井淑乃 interview March, 2011

  • Interview by Tomio Koyama Gallery
Exhibition Data
増井淑乃 展 グッバイヘイロー Goodbye Halo
2011.03.25 - 05.07
小山登美夫ギャラリー京都
  • インタビュー 参照画像

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