Artist Interviews

ベンジャミン・バトラー インタビュー  2010年

ベンジャミン・バトラー アーティストトーク 2010 installation view from [ Paintings and Drawings 2010 ] at Tomio Koyama Gallery, 2010

► このインタビューは、オープニング(4月3日)当日、ギャラリーで行われたアーティスト・トークの模様を編集したものです。

——— なぜ、木々や風景を描くのでしょうか?

バトラー 2001年、抽象画を描こうとしたときに、そのきっかけとして風景画のイメージを使い始めました。この年は私が最初に日本に旅行した年でもあります。日光の森や山、鎌倉の海と海岸など、自分の生活の中で様々な絵画的な風景に出会い、それらが描くモチーフと響き合って、私の関心をより強くしてくれました。またその年、私は祖母から特別なリクエストをもらっていて、それは彼女のために風景画を描いてほしい、ということでした。この誠実なお願いはいい気分転換になるし、答えたいという気持ちがありましたがそれ以上に、このアイデアによって私はある種のフォーク・アートに興味を持つようになりました。祖母は、例えばアメリカのテレビ番組で絵画教室をしているボブ・ロスのような —彼はそのメローな声や大きなヘアスタイル、そして彼の「happy trees」というシリーズの絵でよく知られていました— 作品を思い描いているのだなということはわかっていました。上品でわかりやすく、抽象的で、潜在的にはちょっと卑しい感じのするペインティングというのが、正しい行いに思えたのです。カンザスという中西部で育ったことも、この発想に関連していると思います。アメリカの中西部に住む人々の多くには、もったいぶったものに対するアレルギーがあるようです。
もちろん、すべての画家はあるポイントで、或いは何度も、「何を描くか」の選択を迫られます。たくさんの選択肢があり、にもかかわらずすべてがやり尽くされてしまっています。私が風景と木々に心惹かれたのは、具体的には次のような理由が考えられます。まず、それらはロマン派の絵画の歴史と強くつながっています(私が、絵画の中に描かれる木として好んで参照するのは、カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒ、ハドソンリバー派の画家たち、モンドリアン、チャールズ・バーチフィールドなどです)。次に、木というモチーフはすべての人々にとって身近で、もはやクリシェ(使い古された表現)と言ってもいいくらいです。2010年を生きる現代画家として、私は常にこの対極性に苦しみ続けています。一体、本質的なロマン派的絵画とは、このすべてがやりつくされ、すべてがクリシェのように感じられる時代に成立するだろうか? 最後に、風景画への言及というのは、キッチュなものとの密接なつながりもあります —私は、その多くが格安で売られているようなキッチュな絵画を集めていて、それらを尊敬しているのは多分、それらがあまりに不器用で直接的すぎ、だからこそ誠実であるからだと思います。

——— 近年の作品はより抽象的になってきているようです。どのように興味が変わったのでしょう?

バトラー これらの新作では、私は作品をより抽象的な方向に導くために、木の形を筆でペイントするよりも、色鉛筆で線を描くようにして表すことを始めました。木のようなフォルムがあるものの、そこには現実的な木の存在が希薄になって来ています。それでもこの質問に答えるとするならば、私の興味と描く方法は、全く変わっていない、と言えます。私にとって、作品は常に抽象についてや、主題という問題としてのペインティングについてでした。風景画や木々は、いつも既成の構図や、抽象が生まれる場所として機能します。ですが私は、人々が自然に接したときに感じるセンチメンタルな反応の仕方と、アーティストが自然に付与している「ペインティング」、「モダニズム」、「抽象」といったものとの狭間にある、平行線の状態を描けるのではと思っています。誰でも、今や自然が未だかつてない速度で消えて行ってしまっていることを知っています。自然には、かつてものごとがいかに存在していたか、どのように見えていたか、ということへのノスタルジーがあります。これは、過去の芸術制作のやり方にとてもよく似ています。抽象表現主義は山々なのかもしれないし、カラーフィールドペインティング(もっと言えばストライプ・ペインティング)は木々、ミニマリズムは北極の氷の頂上かもしれないのです。

——— あなたはなぜ、木々をこのような幾何学的なパーツに分解するのでしょう。あるいは、これらはもはや木ではなく、パターンなのでしょうか?

バトラー 確かに、木々とパターンとの区別、というのは重要なことです。多分、これは私がまず第一にペインターであって、木の専門家とか木のお医者さんではない、ということを皆さんに思い出してもらう、いい機会だと思います……。時々、私のペインティングは現実の木々についてのものでは全くないのだ、ということをわかってもらうために、一体あと何本の木を描けばいいいのだろう、と思うことがあります。多くを望み過ぎなのかもしれないけど、ペインティングに描かれる木というものは、過去の遺物として見つめられ、敬われ、やがて無視されていく、そういうものです。木々とその周囲を描くパターンとを見た目上で区別することによって、このような思考につながる試みをしています。

——— ブラッシュストロークの違いについて教えて頂けますか? 薄く塗られただけの部分もあれば、マットに塗りつぶされた箇所もあります。

バトラー ペインティングのテクニックの多様さを用いています。例として、一番大きいペインティング"Untitled (Blue, Green, Brown)" *1 では、絵の中のそれぞれのエリアが、個々にひとつのペインティングとして機能する、ということを基本的に考え続けていました。ドライブラシのかけ方によって、ある部分はたくさん塗る過程の中でより表情豊かになり、ある部分はその逆になります。マットな部分はまた、とても形式的な部分であるとも言えます —ある時は鑑賞者を絵の中に招き入れ、またある時は画面からはじき返すのです。

——— 作品の多くには、地平線のようにひかれた線や、白い余白のラインが見えますが、これらは地平を表していますか?

バトラー 白いキャンヴァスの、地が出ている部分ですよね? 小さいペインティングと、大きいものでも"Dark Tree (Blue, Green, Brown)" *2 においては、この白い線はまさに、木が育った土台としての地面、地平線を表しています。けれど、そこには2重の意味があります。この部分はまたペインターにとっての土台でもあって、キャンヴァスにジェッソが塗られて、今まさにその上から絵の具を置いていく、準備ができあがった状態の下地でもあるわけです。
その他のペインティングでは、余白部分は似たような機能を持ってはいるけれど、そこまで比喩的ではありません。

——— "Autumn 2010" *3 という作品はオレンジ色一色で塗りつぶされていて、他の作品とはかなり違いますね。

バトラー この作品Autumn 2010は、ちょっと不思議な方法でできあがったんです。キャンヴァスをストレッチャーに貼る前に、私はその木枠の部分を眺めていて、ちょうど6年前に制作したペインティングで、とてもラフに木立を描いたようなストライプのシリーズを思い出したんです。水平の面の上に垂直の木枠があって、それがまるでそのストライプのシリーズが必要最低限の要素でよみがえったように思えました。季節というのも繰り返し描くテーマのひとつですが、それはあるときには画家自身の制作の循環を表すメタファーであり、あるいはよりシンプルに、風景画というジャンルへのつながりを得る方法でもあります。そのストレッチャーの構図がどのような結果になったかというと、とても人工的な色をした、ミニマルで、なおかつペインタリーでもある、このオレンジの絵になりました(バーネット・ニューマンのzip painting[ビュッという勢いのある絵画、ニューマンの手法] を思い起こさせもしますね)。激しく、人工的な色のせいで、この絵が秋の色には到底見えないという人もいることも知りました。そのことを頭において、この絵がこれからやって来る今年、2010年の秋を表す予兆かもしれない、という設定にするのも面白いのではと思いました。

——— タイトルがついている作品もあれば無題のものもありますが、どのように区別していますか?

バトラー タイトルは、展示全体のトーンを設定することができます。"Paintings and Drawings 2010"という展覧会タイトルには、伝統的な抽象絵画の展覧会、といったイメージを感じてほしかったので、作品ではまずドローイングや小さいペインティングを「無題」と決めて行きました —「無題」と題するのは、20世紀半ばまでの抽象画家たちがよく使っていた方法なんです。けれども4つの大きなペインティングについては、私の過去の作品と連なるように、タイトルをつけました。私の昔の作品は"Sway"(動揺)とか"Orange Stripes, Morning Light"とか、詩的なものが多く、それらはやがて風景や季節の形容詞のせいで詩的に聞こえるだけの、ありふれたタイトルに変化していきました。今は大体、作品を名付ける時は直球で、使っている色や描いた自然のモチーフの名前を、ガイダンスとして直接的に記すだけのことが多いです。こういった方法での1番エクストリームな例は、2006年に描いた"Fifty-Five Trees at Sunset"という絵で、この絵には実際、55本の木が描かれていたんですよ。

——— 今回、ドローイングをギャラリーで発表するのは初めてですが、これらはペインティングの習作ですか?あるいは、独自の意味合いがあるのでしょうか?

バトラー ドローイングとペインティングはこの展示の中でお互いに会話し合い、影響し合っていて、決して習作というわけではありません。それぞれが個々に独立した作品です。今回の展示は、もともとドローイングのショーとして考えていました。これは私にとって、とても内省的な局面に来ているということです。私はニューヨークのスタジオから離れて、非日常的なセッティングで制作を続けました。このことでいくつかの、試さずにはいられないような新しいペインティングのアイデアが生まれました。色鉛筆のドローイングと水彩を鎌倉で描き終わった後、私はそこで小さなサイズの油絵を描き始めました。ドローイングは文字通り、ペインティングへの道筋をつけてくれたのです。ドローイングはそのあと日光でも描き続けて、東京のスタジオスペースに移り、それから大きな絵を描き始めました。

——— この展覧会を終えて、やってみたい新たな試みが生まれましたか?

バトラー 展覧会の間と終わった後には、いつもものごとをじっくり考え、再評価する時間が必要です。作品へと戻って行くためには、新しい方法を見つけなくてはなりません。日本で過ごした今回の時間は、とても特別なものでした。これから何が私の視点を変えて行くことになるのか、今の時点で言葉にすることは難しいです。今度私がニューヨーク・ブルックリンのスタジオに戻って絵を描き始めるまで、それはわからないでしょう。にも関わらず、次のコーナーでは一体何が待ち受けているのか、私はとても興奮していますし、改めてエネルギーチャージされた気持ちでいます。

ベンジャミン・バトラー interview April, 2010

  • Interview by Tomio Koyama Gallery
  • Photo / Kei Okano:installation view
  • Ikuhiro Watanabe :works
Exhibition Data
ベンジャミン・バトラー 展 Paintings and Drawings 2010
2010.04.03 - 05.08
小山登美夫ギャラリー東京 7F
  • インタビュー 参照画像

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