
Interview/ Tomio Koyama Gallery photo / installation view : Kei Okano
installation view from Rearranging the Landscapes Around at Tomio Koyama Gallery, 2009 © Manfredi Beninati
全ての作品は私にとってセラピーみたいなもの。
誰よりもまず自分のために作っています。
トミオと最初に、京都で小さな展覧会をしようと話していたんです。そのときは今より2ヶ月ほど早い会期の予定だったので、すごく短い準備期間しかないと思った。ですから、まずはペインティング2点、ドローイング2点、彫刻2点で試してみよう、と思っていたんです。まず最初に私が行ったのは、母の写真と父の写真を1枚ずつ撮り、それを元に多かれ少なかれ加工して、それぞれペインティング、ドローイング、彫刻に仕上げていきました。絵を見ると座っている母の姿が見えますね・・・他の作品にもそれぞれ母の姿があるけれど、風景はいつも異なっている。その時トミオからタイトルを教えてほしいと聞かれたので、このタイトルにしました。それが始めに起こったことです。
そう、ラフに撮っただけだけれど。

L to R:"untitled (Palermo)", 2008、installation view from Rearranging the Landscapes Around at Tomio Koyama Gallery, 2009、"untitled (Palermo)", 2008 © Manfredi Beninati

"untitled (Palermo)" (ditail), 2008
© Manfredi Beninati
いえ、何もプランはしていないのです。写真を撮って、それを元に描いていく(カメラのシャッター音をまねて)、母のイメージ、父のイメージがあって、彼らは両方とも眠っているので、夢のような風景を自由に配することが出来ました。たとえばここには爆弾を描いているのが見えるでしょう?これは、私の頭の中では爆弾なんです。こっちにもあるね(彫刻を指す)、他にも描くのはやめました。露骨になりすぎてしまうから。
そうですね、そのとおりです。平和とは、騒がしいことの周りにも生まれ得るものですよね。人生のようなもの。とても静けさに満ちていて……今この瞬間も、あなたが目をつぶって耳をふさいでしまえば、まるで何も起こっていないかのようですね?けれど実際には……わかりますね。私は粒子を、原子を描いているようなものなのです。
いいえ。全て一緒に。
そうです。さらに同時に、他の展覧会の作品を準備したりもします。ですから、スタジオにはいつも20点ほど作品がありますよ。
そうですね。このドローイングでも、鉛筆と、グラファイト(石墨)と、漆喰の1種であるジェッソを塗り重ねているから、すごく時間がかかる。ジェッソを塗り重ねて、また全面にぶちまけて、そうするとまた手を入れるためには2日間ほど乾かさなくてはいけない。同時に他の事もやるので、すごく臨機応変な、無計画な感じで進めます。
いえ。どこから始めるかは、いつも模索しています。何を描くのかも探すし。もしこの絵を見て、抽象的なものを示唆しているように見えたとしても、私はとてもフィギュラティヴ(具象表現的)な人間です。私の人格には、抽象的な要素は一つもない。偶発的な、と言う時には、ものごとをあるがままにしておく、という風に考えています。私は作品においても民主主義的でありたいから、自分の視点を示すための高圧的なものは作りたくないのです。何が起ころうと、私なりの視点と物事の因果関係、その間でなければなりません。
いいえ。1枚の写真とか、そういったものがベースにあって、その他は偶発的に描かれるということです。
家族のイメージはよく使います、なぜなら本当によく知っていることについてだけ語るべきだと思っているからです。さもなければ口をつぐむべきでしょう。もちろん、家族は私がよく知っているものだから。ミラノについてとか、母についてとか、そんなようなことならいちばんよく知っているので。

"untitled (Palermo)", 2008、installation view from Rearranging the Landscapes Around at Tomio Koyama Gallery, 2009、"untitled (Palermo)", 2008
© Manfredi Beninati
そう、これは粒子を顕微鏡で見るような視点なのです。だから画面がこんなに入り組んでいる。もしあなたが顕微鏡でこの紙を(インタビュアーの質問用紙を指して)見たら、何百万もの紙の粒子が見えるでしょう。そこに優先順位がある訳ではなく、全てが等価で、なにが真ん中ということはない。これは私にとって大切なことです。政治においては、投票する時、私は右翼に投票します、でも他のイタリアの右翼の人々がそうであるように、私は実際にはとても左翼的な人間です。実質的には−−私は実質的な性格なので−−私は心の中ではコミュニストです、けれども右翼に投票する、それは彼らのことしかよく知らないからなんです。
いえ、皆、左翼ですよ。イタリアには、2000万人ものメンバーから成るソヴィエト連邦外では最大規模のコミュニスト政党が、四、五十年にわたって存在してきました。ほとんど、文化的独裁国家です。イタリアでは、全てのアーティストはコミュニストです。システムの1部を担わなければいけないからでしょうが、おそらく私が右翼に投票する理由はそれが嫌だからです。そんなのはマフィアみたいだから。

L to R:"untitled (Palermo)", 2008、"untitled (Palermo)"(detail、"untitled (Palermo)", 2008、"untitled (Palermo)"(detail) installation view from Rearranging the Landscapes Around at Tomio Koyama Gallery, 2009 © Manfredi Beninati
ええ、材料をポトポト落として、さらに色や形をドリッピングさせます。これも石膏の一種ですね。例えばこの部分はとても固いけど、ここはそんなに固くない。水をどれくらい混ぜるかによります。色は原色の顔料に白い石膏をまぜています。瞑想をするような感じで、とてもゆっくりやります。まず、ただ垂らすところから形を作り始め、それが気に入らなかったら、彫ってみるようにします。いい経験です、こんな風に作ったことは今までなかったけれど、暇つぶししているような感じで、とてもいいよ。皆やったらいいのに。本当に瞑想しているみたいなんです。ここにも眠っている母の像があって、きっと他の所にもいるんです。
ええ。下の層にドローイングがあります。これも一種の瞑想。全ての作品は私にとってセラピーみたいなもので、誰よりもまず自分のために作っています。
これは確か3つの雑誌と、10の新聞から切り抜いています。私にとって、コラージュは全く意味をなしません。コラージュのことは全く理解していなくて、だからこそ時々作るんです。コラージュに意味を与える光を見つけ出したい。こんなに散りばめなければ、意味が生じるのかもしれないけど。だからといって、(要素を)たった2つとかにしてしまうと……ほとんど屈辱的というか、イライラしますね。私は半日でできてしまう作品、すぐできてしまうものが嫌いなんです。常に過程がなくては。そしてあなたはその過程を常に読み取らなくてはいけない。だから加藤美佳さんの作品なんか、好きですよ。どうやって作るか知っている。まず始めに彫刻を作って、それはきっと瞑想的なことに違いないでしょう、さらにそれを写真に撮り、もっと撮影し、まるで天使を捜すようにして、やっと絵を描き始める−−喜びを見出すためには、完璧なやり方です。

L to R:installation view from Rearranging the Landscapes Around at Tomio Koyama Gallery, 2009、"untitled", 2008、"untitled",(detail) © Manfredi Beninati
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