描きたいもの描く。
なにか動くとそれに反応する……猫みたいな感じ

具体的に展示の話をすると一番メインの作品が4メートルの彫刻だと思うんですけど、実際つくってみていかがでしたか?

やっぱりすごく難しい。石っぽいのつくってくれって言っても石っぽさって曖昧じゃない。車のボンネットぐらいツルツルに磨いてっていうとわかりやすいけど、石っぽいっていうだけだと、御影石もあるしコンクリみたいなのもあるし、そういうニュアンスがうまく伝えられなくて。
なんだけど、伝わらないところがいいと思うのよ。工業製品つくってるわけじゃないんだから。いろんな人の手が加わってどんどん変わっていっちゃえばいいと思うわけ。もちろん、それ以上変わると許せないっていうラインは意外とあるのよ。
でも、せっかくつくってもらったのに文句言えないなとかね、その場でわからなくなることもあって。家に帰ってからよく考えると、やっぱり違ってたからやり直してもらおうとかいうことも出てくる。後から言うから現場にとっては迷惑なんだけどさ。

Path to Egypt / acrylic, FRP and mixed media / h.400xw.192.0x d.278.0 (1体の大きさ) / Shintaro Miyake

"Path to Egypt", 2008 / acrylic, FRP and mixed media / h.400xw.192.0x d.278.0 (1体の大きさ)   © Shintaro Miyake installation view from "Egypt -Path to Civilization-" at Tomio Koyama Gallery, 2008

gallery2のペインティング廊下に展示されたドローイング

L to R:gallery2のペインティング、ドローイング "Path to Egypt", 2008 / acrylic, color pencil, pencil on paper / 79.0 x 327.5 cm  installation view from "Egypt -Path to Civilization-" at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Shintaro Miyake

自分の頭のなかで考えたこと以上のことが、いろいろ突発的に入ってくることが?

以上以下、良い悪いではなくて、どっちの歩を先に動かすかみたいなさ。
水が流れるように流れていっちゃえばいいんですよ、ほんとに。地球が回ってるのってすごいスピードなんだよね? 車とかじゃ追いつけないくらいですよ。地球が自転してすごいスピードで回ってて、それがさらに太陽のまわりを回ってたり銀河を回ってたりするんでしょ? そういうところで流れに逆らおうとしてもそんなの屁でもねえや、みたいなのがあって。ある程度流されるところは流されちゃっていいと思ってるのね。

今回のインスタレーションの過程も、まさにそうでしたね。イントレ(足場)を残すことも現場で思いつかれたんですよね。
gallery2のペインティングは初の試みだと思うのですが?

試みは毎回してますよ! 毎回失敗してるの! キャンバスがうまく張れなくてやめたこともある。50号のキャンバス買って来て張ろうとして。奈良さんか川島さんの、本だかウェブだかに、霧吹きで水をキャンバスに少しかけると張りやすいみたいなことが書いてあったんで、すごいかけたわけ。そしたらブヨブヨになっちゃって。それを張ろうとしたら全然ダメで、もうペインティングなんて二度としない、って思った。

そのペインティングを、今回やろうと思ったのはどうしてですか?

……面白いかなあと思って。
いつもやろうとは思ってるんだよ。ペインティングはやりたいんだけどできない。本来やりたいことと、実際できることってあるじゃない。
高校の時バスケットやってたらNBAの選手になってオールスターに出たい! とか思うと思うんだけど、それは100%無理でしょ。でもペインティング描くんだったら確率はだいぶ高い。だから失敗したけどもう一回やってみようと思ったわけですよ。

今回はストレッチャーに張ってあるキャンバスを買ったんですか?

そうそう。張るとこからやったらその時点でやめちゃうから。キャンバスってこんなに高いの? ってびっくりした。

あの絵のなかにはどういう物語があるのですか?

なにもない。描きたいもの描いただけ。結構聞かれるのよ。この前バーゼル行ったときも熊のドローイングやったら、半分冗談みたいな感じで「これどこの熊?」って聞かれて。「日本の熊」って言ったら喜んでたけど。
最初にエジプトを描きたいと思って椅子に座ってる人を描くでしょ。そうすると別にどう描こうとか決まってないんだけど、まず1個描くと、ここに太陽描くといいかなって思って描くわけですよ。2個描くと、ここにこういう人がいっぱい並んでるといいかもと思って並んでるのを描く。5人描こうと思っても3人描いたぐらいで飽きて、他のとこ描いてるうちにもう一回こっち見るとやっぱり人じゃなくてサソリを描こうと思って描く、っていうのが繰り返されるんです。なにか動くとそれに反応する……猫みたいな感じ。
エジプトの人がどうしたこうしたという物語ではなくて。描いてる最中に自分のなかでは(物語は)あるんだけど描いたらそんなの忘れちゃうんだよね。結果をこれと決めておいてそれに向けて構築していくつくり方じゃないのよ。やっていく最中に設計図が変わって行く。極端に言うとエジプトなんて描きたくないやっていう可能性もあるわけ。
でもそこはお約束というか、そこをどうでもよくしちゃったら、ギャラリーで展示が決まってるのに一ヶ月前にやっぱりそこでやるイメージじゃないな、今回止めます、っていうのは違うじゃない。ちゃんと自分のなかでわがままのルールはあるんだよね。
目標としては良い作品で良い展示をするためにっていうのはあるけど、「良い作品をつくるために」という名目の元に、言い訳をするようになるとすごく危ない。
自分で最終的にいいものをつくりたいなあと思ってやってるのが、なあなあになっちゃう時ってあると思うんだよね。自分でなあなあだって気づいて、でもいいや、俺の作品売れるからやっちゃえってなったらそれは確信犯で。本人は一生懸命やってるつもりで、実は一生懸命やってないっていうこともあるかもしれない。それが一番怖い。そこはいつも気にしてるけどね。
絵を描いてて煮詰まって、一回リセットするために敢えてしばらく絵から離れようって言い訳にして、本当に遊びに行ってるだけだったらヤバいわけでしょう?

gugging Atelier, 2008

 installation view at TKG Contemporary : Tomio Koyama Gallery, 2008 © Gugging

グギング展 "Pure Art -True Art - Real Art"
何を描いていいかわからない最悪の時、グギングに出会って、
絵を描くのが苦痛じゃなくなった

今回、6階でキュレーションをなさった、グギングとの出会いについてお聞かせください。

大学に行っていて、絵描いてるんだけど何描いていいかわからない。描きたいかどうかもわからない。技術もない。そんな最悪な時期があって。どうしようって思うんだけど、何かしたいわけ。曖昧なものですよ、「何か」って・・・。
やってるうちに、絵かなあって当りをつけたわけ。自分はアーティストになりたいんじゃないかって。そしたら大学出てだんだん絵がおかしくなってきて。ある時「あ、こんなつまんない絵を描いてる」って気がついたんだよ。で、ああもう俺ダメかもって思いつつも未練がましくグズグズしてたわけですよ。捨てられた女のストーキングをするみたいに。ロゴス行って画集見たりとかして。
そんな時にグギングの作家の作品を見て、単純にこれすごい! 面白い! こういうのを描きたいと思って真似して描いたんだよ。それまでっていろんな画材を使ってて全然手につかなかったんだけど、グギングの人ってクレヨンとか色鉛筆で描いてるでしょ? 色鉛筆で描き始めてたらしっくりきたわけ。しっくりきたとは言っても今の絵とは全然違うんだけど。ずーっとそういうのを描くようになって、絵を描くのが苦痛じゃなくなったんだよね。良いか悪いかわからないけど描けるようになっていって……というきっかけだったんだよ。

ご覧になったグギングの作品集のタイトルを教えてください。

『Raw Creation: Outsider Art and Beyond』 (Phaidon 1996年)という画集だった。

たまたまそこに並んでいたんですね。

そうそう。

それ以前には誰かの真似をしてみたりっていうことはなかったのですか? グギングの前に誰か好きな画家がいたりとか。

予備校の時はダリが好きだったからダリっぽく描いたり、鴨居玲が好きで鴨居玲ぽく描いたり。クレモニーニが流行ってたからみんなクレモニーニみたいになっちゃったり。やっぱり真似から入るよね。

2004年 Gugging / Shintaro Miyake

2004年にInoccyと三宅信太郎は初めてウィーン郊外にある Art/Brut Center Guggingを訪れ、グギングの作家との交流の機会を得る。その訪問がきっかけになり、2007年、Museum Guggingで個展「Innocy's House」を行った。 © Gugging © Shintaro Miyake

2004年に実際にグギングに行かれてアーティストの方たちと会ってみて、いかがでしたか?

ジェームス・ディーンのファンがジェームス・ディーンに会うようなもんですよ。会えるような人ではないと思ってたわけ。
アイドルとか役者だったらサイン会とか握手会とかで会える可能性はあるけど、そんな可能性もないんだから、感無量ですよ、あの時は。もう絵描き終わってもいいや、って思ったぐらい嬉しかったよ。

そこまで三宅さんが惹かれるグギングの魅力とは何でしょうか?

いつも人の作品見るときってこれすごい! と思うか、全く興味ないかどっちかで。なかなかいいけどそこまでじゃないなっていうのはあんまりないんです。
良いものって作品の価値が高いということではなくて、自分がいいと思う、好きなものってことなんだけど、そんなにいっぱいはないじゃない。ピンポイントでしか元々興味がないんだよね。ある作家のこの作品はすごく好きなんだけど他の作品には興味ないやっていう場合もあるし、ピンポイントで好きな作家が何人かいるっていう場合も。
でもグギングの作家ってみんなすごいんだよ。みんな良い絵を描いてる。その作家の他の年代の作品を見てもいいんだよね。

確率から言うと、すごい確率で良い作家がいたっていうことですね。

・・・・・いいと思ってるのは嘘じゃないんだけど、普通に好きなんだよね。でも普通に好きになれるものって実はそんなにないと思う。だから、なんでそこまでグギングに心動かされたんですか? って質問されるとうーん・・・っていうね。ほら、感動しました! って言い過ぎるとほんとかよって思うじゃない。

グギングの作家たちは、精神療法の一環で絵を描き始めた人たちなんですよね。

アーティストって収入を得て、もちろん良い絵を描こうって思うわけだけどアーティストという職業を、選んでやっているじゃない。でもそういうのがグギングの人やアウトサイダーの人にはないかと言えば、その人それぞれだと思うんですよ。
アウトサイダーだから、誰か一緒に住んでて面倒みてくれないと一人では生きていけないっていうハンディはあるかもしれないけど、絵を描こうって思う気持ちは彼らの中でもそれぞれ違っていて。ボンダール(Karl Vondal)は、これ見ろ!ってすごいアピールしてきたり。そういうところはほんと普通の作家ですよ。
かと思うと、片隅のほうで描いててこっちが覗くと、見ないでよっていう人もいるし。だからアウトサイダーの人にもいろいろいるから、普通の日常生活っていう面では違う気はするけど、ものつくるっていう意味ではそんなに変わらないかもしれないね。

三宅さんが惹かれたのは、やはり純粋に作品そのものだったんですね。

そう。アウトサイダーだっていうバックボーンがあるからいい、みたいなのはまったくない。子どもの絵を素晴らしいって言う人いるじゃない? でも子どもの絵だって全然素晴らしくないものだってあるわけで、やっぱりそれぞれだと思う。

グギング作家作品

グギング作家作品 L to R:Heinrich Reisenbauer、Franz Kernbeis、August Walla  © Gugging

グギング作家作品

グギング作家作品 L to R:Johann Fischer、Karl Vondal、Arnold Schmidt  © Gugging

グギングにはたくさんアーティストがいますが、今回のアーティスト6人の選択は?

最初にカタログを見て選ばせてもらって。ヨハン・ ハウザー(Johann Hauser )やオスワルド・チルトナー(Oswald Tschirtner)は権利関係とか作品がないとかでダメだったんだけど、あとの作家は展示することができた。

なかでも三宅さんは、フランツ・ケルンバイアス(Franz Kernbeis)が好きですよね。

大好き! いいよ〜。

キュレーションをやりたいというのは、この間個展で行ってグギングとコラボレーションしたときに、自分が個展をやるなら東京で(一緒に)やりたいと思ったんですか?

小山ギャラリーは、いつも7階と6階のスペースは他の人の作品の展示になってますよね。どちらも小山ギャラリーなわけで会期も一緒でしょ。それだったら、俺、一緒にやりたいよ。もちろん俺の作品でもいいんだけど……それはわがままだね。でも、俺のを全部見せたい、俺が関係してるものを見せたいっていうのが正直あって。
グギング展は、ただのファンじゃない関わり方をしたいっていうのがあったのと、グギングのところに行くまで、グギングの作品が実際に買えるというのも知らなかったわけ。日本だと世田谷美術館とか資生堂のギャラリーでやっているから、買えるって思わなかったし。
自分がグギングに行って作品を買ったように、日本のギャラリーで展示して売っていたら、欲しいと思う人がいっぱいいるんじゃないかなっていうのはあった。
だったら、それを俺がやりたいと思ったのね。面白そうだからやってみようかってギャラリーから言われる前に、それ俺がやらなきゃって。俺の手柄にしたい(笑)、っていう。

昨年、グギングで個展を行った時に(2007年 / 「Innocy's House」Museum Gugging, Art/Brut Center Gugging)、彼らのスタジオを訪ねたり、プレスカンファレンスやパーティーで作家と交流したりして。帰りに三宅さんが、「小山ギャラリーで展覧会をやるならグギング展も一緒にやりたい」と言い出だしたんですよね。そのすぐ後に、同じオーストリアのクリンジンガーでやった個展「HACHÕBORI」のオープニングで、グギングのギャラリーのディレクターとスタッフが来てくださっていたので、そのを話をしてみたら、ぜひやろうかという話になって。

びっくりしたよ。例えばグギングってグギングとしていろんなところと付き合いがあるし、簡単に「うちでやりたい」って言ってできることなのかわからないじゃない。それはちょっと……って言われるかもしれない。今のままだとグギングとすごく良好な関係だけど、僕がキュレーションやりたいって言った時点で、むこうが、え? ってなったら、俺もう切なくて切なくてしょうがないよ。
グギングに実際行って、コラボレーションするっていう夢みたいなことが実現したんだから、チャンスがあるなら日本のギャラリーでキュレーションやりたいと思ったんだよね。

三宅さんの作品もプリミティブなものとか、本物であるかどうかということにとても意識的だと思います。スタンスは違うし、グギングの作家のなかにもいろんな人がいるという先程のお話もわかるのですが、スピリットというか通じ合うものがあったのかなと思いました。

どうなんだろう。わからないなあ。ある! って言っちゃうと、実際実感として通じ合ってるってピンと来てるわけじゃないし。おこがましいよ。

見た人は実際そのように感じることもあると思いますが。

でも良く思わない人もいると思う。アウトサイダーの真似してるんじゃん、そんなの三宅よりダーガーのほうが全然すごいよっていう人もやっぱりいるわけですよ。

作品の好き嫌いもありますし、どこが評価されるのかは難しい所ですよね。

いろんな意見を言う人がいるでしょ。作品を見たときにこいつの作品おもしろくないなと思って文句を言ってる人も、俺の作品を面白いと思わなかった「何か」があるわけですよ。それが何だろうってことをすっごい考える。
あいつの絵何なんだよっていう意見にはもちろんムカつくわけ。でもネットとかでそういう記事を見たりすると、一生懸命読む。最初のほうは何週間かイライラしてるだけど、何度も何度も同じ文章読んでると、こいつ俺の作品のこういうところを見てこう思ったんじゃないだろうかとか、書いてる人はそこまで深く考えてないかもしれないんだけど、自分のなかで、なんでこの人、自分の作品をこんなに悪く言うんだ?! っていう疑問と、こういうことじゃないかっていう自分なりに解釈した回答とが出てくる。で、やんなきゃ! って思う。
ポジティブな面でやんなきゃ! ってこともあるけど、やっぱりなにくそ! って。そういうことってすごくいっぱいあるんだよ。

作品を作るモチベーションの一端というか、刺激になりますよね。

絵を描くこと自体がいろんな面があると思うんだけど。表現せずにはいられないこともあるかもしれない、良い絵描いて人に褒められたいっていうのもあるかもしれない、あとは自分でアーティストを生業として選んだんだから絵を描いて生活していきたいっていうのもあるかもしれない。いろんなことがあると思うけど、あいつよりは俺のほうが面白いと思われたい。あいつがレコード大賞取ったからって俺の歌のほうがいいんだ、って。
でもさ、自己満足とそうでない差なんてほぼないかもしれないんだけど、ただの自己満足じゃないぞ、かと言って人に訴えたくなるメッセージがあるわけでもないんだけど・・・そういうことがグルグルする。
だから作品つくって「どう? どう?」って言うわけ。売れたりすると、良いと思ってくれた人がいたんだ! と思ったり。自分の絵の本当のところ・・・・・・本当なんてないんだけど、そういうことをグズグズ考えながら、世の中同じほうにしか流れて行かないんだけどさ、流されつつも上流には行けないんだけど下流の少し右のほう、溺れないように、ぐらいにはいきたい。

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