
Interview/ Tomio Koyama Gallery photo / installation view : Kei Okano
installation view from "Egypt -Path to Civilization-" at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Shintaro Miyake
行き当たりばったりでも、
面白いと思う可能性があることはなるべくやったほうがいい
何年か前にエジプト行きたいなあと思っていて。でも、ちょうどエジプトで一般の観光客が泊まってるホテルが爆破されて、観光客が結構大勢死んだっていう事件(編注:2004年 エジプト北東部 ヒルトン・タバ・リゾート爆破テロ)があった時で、治安が悪い時期に重なっちゃったんだよね。
そうそう。王家の谷でもたくさん殺されたんだよね。で、怖い!と思って。もともと海外に行くのって飛行機乗るだけでも怖いのにさ、治安の悪いところに行きたくないし。
エジプトって普通、日常生活までこっちに入り込んでこないじゃない? でも一回気にすると・・・・・・吉村作治(エジプト考古学者)とかあっちこっちで見るしさ。『世界ふしぎ発見!』とか、『ヒストリーチャンネル』とか、エジプトの番組ってたくさん放送してるんだよね。案外みんな好きなんだなあと思って。
みんな、謎が好きなのかな? ピラミッドは実際何でつくられたのかとか、ピラミッドが墓だとしたらそこになぜミイラがないんだとか、呪いが掛かるとか掛からないとか、古代のエジプトの測量技術が今のものと比べても引けを取らない・・・・・・とかさ。
でも、俺の場合は謎めいているところにロマンを感じるというのではなくて、単純に描いてあるものが面白いんだよね。
壁画に壷がいっぱい描いてあるとさ、壷に足が生えてたりするわけ。なぜかは知らないよ。ちゃんと全部意味付けがあるんだろうけど、意味付けなんて知らなくても見てて面白い。表面的な部分だけを取って面白がっちゃいけないのかもしれないけど、知らない強みっていうのもあると思うわけですよ。
エジプトに行ってなかったり、よく知らないから逆に自分の中でイメージが膨らむんだよね。知らないときにしか表現できないこともある。そこが面白いか面白くないかの境目な気がする。

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L to R:gallery1、右手の連作ドローイング "Path to Egypt", 2008と左手の連作ドローイング "Path to Egypt", 2008 © Shintaro Miyake installation view from "Egypt -Path to Civilization-" at Tomio Koyama Gallery, 2008
まず、描いてある感じが違うという話をすると、右側の3点みたいに左も描きたかったんだけど、あれ描くのにすごく時間が掛かったの。一人ずつ描いてたからものすごく時間掛かっちゃって。ペース配分まったく間違ってた。このままいったら途中でリタイアして完走できない、みたいになってしばらく放っておいたんだよね。
時期的にもホーナー・フレーザー(Honor Fraser、ロサンジェルスのギャラリー)やバーゼル(スイスのアートフェア)が入っちゃって、だいぶ空いたんだよ。で、前に描いたのを見て、これはヤバいよ、どうするんだよ、って。それで密度が突然変わったんだよね。
右のほうは、あとちょっと手を入れれば終わるところで止まってたからそれは完成させて。新しく描くのはこんな密度で描いちゃだめだ、間に合わない、というのがあって。時間がないからこっちをもっと楽に描いちゃおうとかそういうことではなくて、描き込んでない良さもあるし描き込んでる良さもあるでしょ。

"Path to Egypt", 2008 / acrylic, color pencil, pencil on paper / 79.0 x 327.5 cm © Shintaro Miyake

"Path to Egypt", 2008 / acrylic, color pencil, pencil on paper / 109.0 x 790.0 cm © Shintaro Miyake
逆に言うと、描こうと思えばいつまででも描けちゃうんですよ。
例えば左側の10点連作でいえばもっと人数を増やすっていうこともできるし、洋服の模様をもっと描き込むとか、下の砂漠のところに全部色を付けて、とかできるじゃない。立体をつくったときもそうなんだけど、こういうものをつくりたいっていうイメージがあってそこに向けて制作していくっていうことはしてないわけよ。
時間が限られているなかで、エジプトのものが描きたいと思って突然描き始めるから、最終的にどんなものができるかわかんないわけ。でもやっていくうちに締切が近づいて来ると自然と自分のなかで落ち着きがいいものをつくっていくんだよね。それがちゃんと目標をつくってやっちゃうと、この日までに最初にイメージしたこれだけのものをつくるんだったら間に合わないからじゃあ人を雇うとか、しょうがないから半分の規模にしてみるとかいうのが出てきちゃうでしょ。どこかで辻褄合わせなきゃならなくなる。
そういうことしたくないのよ。時間が決まってて、泣こうがわめこうがそこで終わりっていう制作のほうが逆にいいものができると俺は思ってる。
立体にしたって、最初にぴったりこういうものをつくりたいっていうのがあって、質感が違うとかああだこうだずっと言うこともできるけど、そうじゃなくて、最初おぼろげながらに思っていたことは違ってきてるけど職人さんとのコラボでいいじゃん、じゃあこここうしようかみたいな、脱線していくほうがいい。
俺、絵の描き方もそう。白いところに突然端っこから描き始める。だから予備校の石膏デッサンみたいなのが大嫌いでさ。画面のなかの一番収まりがいいところに石膏がうまく入るようにまず構図を決めて・・・とか、そういうものにすごくストレスを感じるわけ。
ものの制作の仕方もそうだし、モチーフの選び方とか、具体的にどうやって仕事を進めていくかっていう行程も全部そうなんだよね。悪い言い方をすれば、行き当たりばったりだと思うんだけど、そのほうが面白いじゃないか、っていう。
自分でものつくるときに、自分に対してきちっとしなきゃいけない部分と自由にしていい部分があるとすれば、俺は、絵の描き方とかモチーフの選び方とか制作の進行の仕方は、その場その場でどうしよう? ってやってたほうが楽しい。
そこらへんはギャラリー側とは違っている。ギャラリーのほうは、何日までに大体何点か教えてください! って言うでしょ? だってそうしなきゃ展示のプラン組み立てられない。だけど、わからないのよ。だから取りあえず適当なこと言っといて、後でだいぶ変わるっていう。いつもそう。でも実際は全部計画立てて言っているわけじゃないから、実際にできない量だったりすることを言っちゃうんだけど、言った後にだんだん自分のなかで修正効いてくるんだよね。それで最終的に収まりがいいところにいくと。
今回も、当初は違うことをしたかったんだよね。「台風」をモチーフにした展示をしたかったんだけど、ギャラリーのスタッフと話して、どうかなそれは・・・・・・ということになって。
メキシコがモチーフ。メキシコの人の、なんて言うの? あの帽子。"ドンタコスのおじさん"が被ってるような、三角帽子のつばが広いやつ。(編注:ソンブレロ)ああいう人がいっぱいいる。
台風と言っても、エルニーニョ、ラニーニャとかがメキシコ地域で起こって、その年の気候がどうとか、今の地球温暖化をアーティストの目線で考えるとか、そういうことでは全然なくて。
ナチョスって料理おいしいじゃない? いいなあと思って。メキシコでナチョスと台風とさ。なんとなくメキシコのチーズとかのイメージと台風がくっつくと面白いなあと思ったわけ。理由なんかない。別にメキシコ自体は台風関係ないんだよね。メキシコ湾岸地域で発生するだけだし。
去年の夏、そういうの描いたら面白いなあと思ってたんだよね。気圧の着ぐるみをつくって・・・そう、気圧なんですよ。生き物とかモノではなくて、気圧。それで台風の絵を描こうかなと思っていたわけ。
それが思いっきり却下されたからさ。どうしよう! って。もともとエジプトの絵を一回描いたことがあるしもっと描きたかったんだけど、メインのピッチャーが故障したから、じゃあお前しかいない!っていう。

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L to R:"敦盛"(2005) 小山登美夫ギャラリー、"Beaver no Seikatsu"(2006) Massachusetts College of Art、"HATCHÕBORI"(2007) Galerie Krinzinger
とにかく最初に、まずなにかやろうって思うんですよ。だから引き受けちゃうのよ。最初から、日程的な問題、予算的な問題、そこに作品を提供することが本当に自分にとって良いかどうか、っていうことを頭で考えて、じゃあ断る! ってなっちゃうとさ、もしかして面白いことになったかもしれないじゃない。途中でイヤになっちゃうかもしれない、それで迷惑掛けるかもしれないけど。だけど面白いと思う可能性があることはなるべくやったほうがいいと思う。
そうそう。
違うことを思っている人たちはいっぱいいると思うんですよ。絵を見てる人のなかで。芸術家なんだから人と違うことやったほうが面白いとか、ちょっと変わってる人のほうが面白いってあると思うわけ。いつも俺が例えるのは、美大出て絵描きしてる人よりは60歳まで農業やってた人が60歳になって突然絵描きたい! って描き始めたほうが話としては面白い。だけどそれは狙ってやるものではないわけですよ。やっぱり絵を描いている人だからって孤高の人だったり変わり者じゃなくて、人と会ったら「おはようございます」ってちゃんと挨拶できたり、遅刻をしないとか、普通の人が普通にすることは全部やって。
俺が着ぐるみ着て赤信号の渋谷のスクランブル交差点をワーッと出て行っちゃったりしたら、みんなびっくりして面白いかもしれないけど、迷惑じゃん。それは違うと思うわけ。俺、着ぐるみで街のなか走ったりしてるんだけど案外冷静なのよ。
俺、江頭2:50がすごい好きなの。あの人って毎年嫌いな芸人ナンバー1とかに選ばれるし、ぱっと見た目おかしなことをしてるように見える。でも実はそうじゃなくて、あの人、自分のお笑いに対するスタンスにすごく真摯にやってるじゃない。すごいんですよ。ものをつくるっていうことに対して真面目に向かい合ってると思うわけ。だから真面目に向かい合ってる部分がなくて行き当たりばったりだと、つまらない本当にの行き当たりばったりになっちゃうと思う。
人に見せるっていう話をすると、仕事じゃなければ作品つくっててもつくってなくてもどうでもいいけど、アーティストっていうのを生業として自分で選んだわけだから、難しいよね。真面目すぎてもつまんないし真面目じゃないのはだめだし。
だから四苦八苦してるんだけど、四苦八苦してることが重要なんじゃなくて。延々転がってっちゃうんだよね。いつも歯磨きながらそういうことがぐるぐる回ってたりするの。で、まあいいやって寝るんだけど。
思いついたことはあちこちにメモするわけ。後で見ても何書いてあるんだかわからないのよ。なんだろう? って思うんだけど。書いたことはわかっても、そのときそれを面白いと思った気持ちが全然思い出せなかったりすることもある。そんな、毎日何か出てきて消えてってるときに、たまーにたまたま忘れなかったものとか、そういえばこれ面白いと思ってたなっていうものが出てくるわけ。

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オープニングの日、予定外のライブドローイングが行われた images at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Shintaro Miyake
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