素直に出来ることをやる構築的な面と、破壊的な面、
両極が自分の中でせめぎ合う

まず展示のタイトルについてお伺いします。「World Citizens with the White Boxes」はどういう経緯で思いつかれたのでしょうか。

去年個展のためにベルリンへ行った時に、町中に銅像があるのが気になっていました。ブロンズ像が存在として屹立して見えて。もしかしたら昔から気になっていたのかもしれません。つくってみたいなとは思うのですが、まだそこまでは至っていないです。
だけど、そういったことをなんとなく頭の端に考えていた時に、ヨーロッパには「それ」に似た人がいる。身体の大きい人が駅の向かい側に立っている感じとか、エスカレーターに乗っていてふと見上げた時に、ピンヒールで立っている女性がいると「絵になるなぁ」と思って。人々が密集しているとそんな風に見えないんですが、一人でいる時にそう見える。彫刻みたいに見えるこの感じは一体何なんだろうと思っていた時、ベルリンで友人がライブに連れて行ってくれて。観客の皆も背が高くって、ステージが見えなかったんです。「こうやったら見えないかな」「箱欲しいな〜」「箱があったらなぁ・・・」とか思いながら。それからオランダへ行った時思ったのは、男性トイレが高いんですよ。ギリギリ届く感じ・・・・・・(笑)そういうことがあって、台座みたいなものがあるといいなって思ったり。
白い箱なのは抽象的な存在だからで、その中にその人の人生――例えば読んできた本――が入っていたり。実は、それが重みになって動けないこともあると思うんです。そこから動けない、そこから出られない。高い位置、というのは自尊心だと思います。自分だけ高い位置にいたいという。おかげさまで見渡しが良くて、遠くまで見えるし、何かを待っているとすればすぐに見つけられる。
そんなことを考えつつ坂本龍一の音楽を聴きながら絵を描いていたら、“World Citizens”っていう曲があった。結構好きな曲で、深い意味とかはぜんぜん知らないんだけど「良い言葉だな」って思った。それで向こう(外国)で試しに小さなキャンバスを買って、一枚描いてみた。ただ白い箱、抽象的なものがあって、人が乗っているだけの彫刻みたいな人間像を描けるかなと。日本に帰って来て小山さんから個展の話を頂いた時に、とりあえず今はそれしか思い浮かばないな、という状況で描き始めました。

gallery2にある小作品("Citizen with the white box")もそのシリーズでしょうか。

そうですね、バリエーションです。

gallery2 Citizen with the white boxシリーズ

"Citizen with the white box"シリーズ installation view at Tomio Koyama Gallery (gallery2), 2008

アトリエ Atelier, 2008女たちと白い箱  The Women with the White Boxes, 2008女たちと白い箱  The Women with the White Boxes, 2008(detail)

L to R:"アトリエ Atelier", 2008 / oil on canvas / 194.0 x 259.0 cm "女たちと白い箱 The Women with the White Boxes", 2008 / oil on canvas / 181.8 x 227.3 cm "女たちと白い箱 The Women with the White Boxes", 2008(detail)   installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Toru Kuwakubo

アトリエ Atelier, 2008(detail)

"アトリエ Atelier", 2008(detail)
© Toru Kuwakubo

作家アトリエにある彫刻作品

作家アトリエにある彫刻作品
© Toru Kuwakubo

アトリエ Atelier, 2008(detail)

"アトリエ Atelier", 2008(detail)
© Toru Kuwakubo

最初に描かれたのは"アトリエ"ですか。

はい。自分のアトリエを描きました。小山さんのギャラリーでの展覧会っていうのがずっと頭にあって、大きい作品を描くにはアトリエが必要だなと思って作りました。その状況を作業中にずっと楽しく描けたらなって思って。だから自分のメモリーとして、自分の想いを描いた。例えば自分がタイルを張ったりしたとか。だから実際にはなかった物もあって、例えばあの真ん中の右下のほうにある白い箱は、本当はなかったんですよね。だけどおそらくそういうことになるんじゃないか?と思っていて、その後、実際につくったんです。絨毯の上にあるあの彫刻みたいなものも、後でつくったんです。

彫刻ですか?

彫刻というか・・・・・・僕、大量に絵具が余るんですよ(笑)。写真を持って来たので後で見てみてください。あくまで趣味で、遊びで、つくっています。

絵の具でできた彫刻なんですね。みんなきちんと台座に乗っています。ヨーロッパに行かれてどのような変化がありましたか。

ちょっと価値観が変わったのかな。世界は広いから、良いと思うことが違うんだな、ということがよく分かったというか・・・。ベルリンへ行く時に、最初は小山登美夫ギャラリーで4月(2008年)に個展をしないかという話があり、ドキーッとしたんです。めちゃくちゃ近いじゃん!って(笑)。それから興奮状態になってしまったんですけれども・・・・・・。僕は日本で生まれたから、日本の情報を沢山持っていて、どういった作品が良いと思われるか予想がついてしまうというか、日本のヒエラルキーが見えてしまっているような気がしたから怖くなっちゃって。外国だったら、知らないしどう思われたっていいやって思えるけど。そこで考えちゃう自分がいたんです。
僕にとってパステルカラーは描きやすいので、この作品("アトリエ")は保守的なんです。技法的な話になりますが、絵の具の質からいって白が多いと乾きが遅くて描きやすいんです。だから安全牌と思って描いている所が若干あるんですよ・・・・・・失礼な話なんですが(笑)見やすくて綺麗だから。
でも、どこかに破壊的な欲望があるのか、例えばデューラーの油の濁ったような変な色、モディリアーニのオイル・ペインティング的な綺麗だけれど綺麗の種類が違う、深くて濁った汚い色なんかも、全然系統が違って描けないけど、どこかで描きたい破壊的な自分もいる。今までやってきたこと、素直に出来ることをやる、っていう構築的な面と、破壊的な面、両極が自分の中であって、それが今回の展示において大きかったと思います。綺麗なのを一枚描いたのでホッとして、今度は濁ったのが描きたくなった。汚い色を使いたい!って。
いつも分岐するんです。「どっちに行きたいの?」って。大まかな話ですよ、本当はもっと無限に分岐するんだけれど。。。

次に描かれたのは、大きい作品だとどの作品でしょうか。

この赤の作品("女たちと白い箱")です。色も、ダークに、暗くしたいっていうのがあったんだけど、特に決めずに行くというか。

この作品も乾かない間に、一気に描き上げられたんですよね。

暗い色を使うと乾燥がちょっと早いんですよ。やっていて気づいたんですが、暗い色は一層でのせると綺麗なんですよね。割と薄くのせると、僕にとっては綺麗な色になった。

制作にあたって時間はどれくらいかかりましたか。

この大きさの作品を描くのは初めてに近い状態だったので、1枚につき半月くらいですね。ちょっと苦しかったけど・・・・・・。

額装されたドローイングはペインティングの為に描かれたのですか。

はい。さっき言っていた、どちらかというと構築的な作業の中で、仕上がりのイメージを見出す為に。最初の感覚って遊びなんですよね、「楽しい」というラフな感じだから、キャンバスの上からだとちょっと気負うんです。だからちょっと前から、ある程度ラフな状態で出来るように(ドローイングを)描いています。

詩人の庭2 A Poet's Garden 2, 2008詩人の庭2 A Poet's Garden 2, 2008

L to R:"詩人の庭2 A Poet's Garden 2", 2008 / charcoal on paper / 65.5 x 87.0 cm "詩人の庭2 A Poet's Garden 2", 2008 / oil on canvas / 194.0 x 259.0 cm  © Toru Kuwakubo

《詩人の庭》シリーズのモチーフを思いつかれたのは?

ずっと前にギャラリーのスタッフの人のデスクを見て思いついたんですけど(笑)そのデスクの横で最初にドローイングしたんです。

ものを積み上げすぎて、インスピレーションの源になってしまいましたね!

この作品は暗い色調と明るい色調が混ざっているような感じですね。
いつもまちまちです。

タイトルが"詩人の庭2"ですが、"詩人の庭1"もあるんですよね。

"詩人の庭1"はソウルの展示の時の作品ですね。この作品より小さくて、本が積んであったりするのは同じ。

上の部分だけ塗り残しがちょっとあるのは?

僕、チョビッとずつ塗っていくんです。元は下地が見える状態で描いていたんですけれど、怖いんです。チョイチョイ塗り潰しては数歩下がって見てみて。塗り潰すともう元には戻らないなぁってビビりながら描いていたら、何かちょっと残っちゃった。こういうのも本当は絵の具で埋めた方が見やすいんだろうけど、自分は埋めたくなかったんでしょうね、きっと。

フォーヴ(野獣派)のようなタッチですね。ページが飛んでいるのも、雲なのか、模様なのか、何か分からない感じです。桑久保さんは制作を始められて最初の頃、自分が画家であると仮定して、二重人格のような感じで制作をスタートされたと伺いました。その心境に変化はありますか。

それはすごくありますね。今回は特に変化しました。距離がもう、ゼロですね。

もう描くことが自然に?

自然ですね。以前は描くことって、現実離れしていたんですよ。自分にとっては特殊なことだったんですね。僕は描かなきゃ生きていけないとか、そういうタイプじゃなかったんで、やっぱり「制作」というと日常とは切り離されたものだったし、モードを切り替えなければいけないところがあった。けれど、色々な準備段階があって、今回の展示のプレッシャーが大いに加担しているとは思うんですけれども、ずっと絵のことしか考えていないし、コンセプトも考えてない。以前の方が言葉を考えているという感じでした。それは画家としてどうなんだ、と今更ながら思うのですが・・・。作品が悪くなろうとどうなろうと、以前よりは、描きたいから描く、というのにどちらかというと近いんです。失敗してもただの結果物だから良い、というか。無責任かもしれないけれど。後、やりたい事があってそれに言葉が出て来ない。今整理しようとしていて、もうちょっと期間が空いていれば何だったのかというのはわかるかもしれないんですけれど、一昨日まで描いていたんで、まだ分からないんですよね。

モチーフとして海が出てくるのは同じですが、かなり変化しているように思います。ソウルでの展示において、初めて海岸に色々な物がバーっと散りばめられてある、というシリーズが出てきましたが、その前には海面/波だけを描いているシリーズもありましたよね。それらの作品からは離れてきたということでしょうか。

今回そういった作品がないのは描く気がしなかったというだけで、モチーフとしては今後もまだまだ描く気がします。

Sea of Bloom - Estonia, 2006

"Sea of Bloom - Estonia", 2006 oil on canvas / 100.0x80.3cm © Toru Kuwakubo

installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008桑久保 徹

installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 L to R:"冬の海と霊園 Winter Sea and Graveyard", 2008 "詩人の庭2 A Poet's Garden 2", 2008 © Toru Kuwakubo

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