
日本での初個展、ユニークな造形と色彩の作品群は、圧倒的なエネルギーに満ちていた。
「作品を創るとき、自分でゲームを見い出すんです。」制作の過程で自らルールを課すことで、彼は存分に自らの可能性を解放するのだという。
インタビュー・訳 / 小山登美夫ギャラリー
Artist Photo / 細川葉子
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Tal R and installation view at Tomio Koyama Gallery, 2007
崩壊し、そしてひらける
これらの絵は(言いながら紙に絵を描く)、女の人がいて、彼女は髪をこういうふうに(下ろしている)、またこういうふうに(おだんご結び)もできますね。ここに目があって、ちょっと怒っている。そしてこの女の人は、ペニスを見下ろしてるんです。彼女はちょっと、こんな感じ(怒った顔)。だからこのペニスは、悲しんでいます。ペニスは木の上にあります、高いところにあるわけじゃない。例えばもしすごく高いところにいたら、落ちて体を打つでしょう? ペニスはとても低いところにある。彼はそこにいることに決めたんです。彼自身がそこにいたいから。英語で、哀れ(pathetic)という言葉を知ってる?
ちょっと哀れな感じですね。たまに男の人は、自分のことをこう思っています(弱々しい感じで咳をするジェスチャー)。女の人は、とても厳しくて。それが基本的なアイデアです。
7点同じアイデアで創るときには、完成形に近づけるために、わざと障害を作ります、自分のために。だからこう、くねくね行かなきゃならない。いつも新しいゲームなんです。最後には、ペインティングが壊れる瞬間を待っている。ペインティングがこう、割れるような瞬間を。もうこれ以上抱えきれなくなって、崩壊するとき、とても美しい作品が生まれます。崩壊したときに、ひらけるんです。ペインティングが大丈夫なときはつまらない。壊れなきゃいけない。その(壊れた)ときの作品はとても美しい。
僕が作品を創るときは大体、自分でゲームを見いだします。
ゲームの中で仕事するとき、ゲームの境界線のところが一番面白い。例えばこれがゲームだとして(丸を描く)7色しか色を使わないっていうゲームだね、僕はここ(円の中心)では仕事をしない。ここ(円の端)でする。ここ(円の外)にいるとしたら、ゲームには参加してない。常にぎりぎりの、エッジのところに居るんです。
そう。規則ではありません。もし私に話したいことがあるとしたら、私は話したいことの、エッジのほうに行く。とても狭く制限して、同じ構図をとって、でも画面が崩壊している様に見えるでしょう。まるで、夏に、持っていたアイスが手に溶け出しているような感じです。そういうのを良いペインティングと言う。ペインティングはアイスが溶けたようなものであるべきだと思っています。
常にゲームです。そしてそれは常に私がたくさん考え、働くことを求められる作業です。なぜなら私はいつも、どこに行きたいかわかっている。けれどどうやって行くかがわからない。だから私の腕を切って辿り着けるのならば、私は腕を切る。もし破壊することでそこに辿り着けるのならば破壊する。僕を押しとどめているものは何もないのです。スタイルも何も。
だからそういうゲームを僕は常にやっています。そして僕は何より、「僕が居ないところでの僕」に興味をもっている。例えば、自分のアイデアが一人歩きしていって、自分でも驚いているような時です。多分、自分でも自分がわからないようなときは、大丈夫だと思う。もし自分だけが全てをわかっていて、100%コントロールができているようなときは、僕は(退屈で)眠ってしまいます。
そうですね。僕自身の想像も超えている。僕は常に自分の美的感覚が広がるところまで自分を押し進める様にしています。もしあることがわかっているなら、それだけが「僕がわかっていること」で、僕はさらにそれを僕自身の目で見るようにして、本当にわかっているのか? 僕はそれを、包容することができるのか?、と考える。よし、できる!、となる。
でも時々ここに何かがあって、やっぱり理解できない、ということもある。
しかし3年経ってみてわかることもある。なぜなら理解することに限界はないから。そして同時に私たちはそれを包容しなくてはいけないのです。
ペインティングが終わったときに、いつも何かが、時の概念のようなものが足りないと思う。日付のような。でもそれは正しい必要はない。ペインティングが終わった日にちである必要はないのです。だから自分で、僕には自由があると考えた。僕のささやかな自由は、このペインティングが「明日終わった」ということなんです。でも1月になればね、誰もそんなことは気に留めない。だからいつもちょっと間違った日付を入れるんです。日付は必要だからね、月と月を区別する、時間の概念として。でも正しいものである必要はない。
僕は作業するとき、僕が何をするべきかと考えるのではなくて、何ができるのかと考える。何が可能なのかとね。こういうことが正しいと言いたくてペインティングを創るのではない。常に、何ができるのか、ということでなくてはならない。間違ったことはできない、というような感覚ですね。そういったポイントへ向かっていくと、ペインティングがいったん崩壊し、ひらけてくるんです。
最終的には、抽象も具象も、何も違いはないのだと思います。しかし全てがリアリティから派生していて、時々は抽象的に語られたりするのでしょう。作品の背後に潜むリアリティは常に、現実からきているのではないかと思います。
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