About the Exhibition

トム・フリードマン

Not Something Else
2009年3月28日(土) - 5月2日(土)
小山登美夫ギャラリー京都
  • トム・フリードマン展 Not Something Else 2009

» 作品紹介

バブルガム、トイレットペーパー、つまようじ、ストロー…これら日常のありふれたモノを、フリードマンは予想もできなかったような、美しい作品に変身させます。このような彼の制作の原点は学生時代に経験した転機に遡ります。アートは一定の形式によって定義されるべきではないと考え、アトリエを空っぽにし、あらゆる面を白一色に塗り、蛍光灯の光で照らす。感覚を奪い去ってしまうようなこの空間に再びモノをひとつずつ持ち込むことで、彼の新しい探求が始まりました。
2000年の『Untitiled』ではピンク色の消しゴムのカスを床に円状に配置。縁の部分がまるで銀河のようにみえるこの作品でフリードマンは、通常ならアートの素材にはならないモノのフィジカルな性質に対し、アートとならしめる力を与えています。また1992から97年の『1,000 Hours of Staring』では、自身が1000時間見つめたという一枚の白い紙を作品とすることで、アートという行為自体に引かれてきた境界線に疑問を投げかけています。

» 展覧会について

本展では、立体作品とアニメーション・ビデオ、ドローイングなど、全7点の新作を展示いたします。

「何年もまえに禅宗に出会った。犬の仏性に関する禅問答のなかで、禅僧が『犬ではない。ただの犬!犬、犬、犬だ!』と生徒を叱ったという話を聞いて、突然ひらめいたことを思い出す。僕にとっては直接の、直の、そのままの体験がアートであり、人生なのだ。主体と対象はその体験の中で解体や融合を行い、見るものを引き込んでいく。直の体験、アートそのもの、そしてNot Something Else」(トム・フリードマンによるステートメントより。)

徹底的にモノ(objects)それ自体にこだわり続けて来た作家の新たな挑戦を、この機会に是非ご高覧下さい。

» 作家プロフィール

トム・フリードマンは1965年アメリカ、ミズーリ州セントルイス生まれ。ワシントン大学(セントルイス)にてグラフィック、イラストレーションを学び、1988年美術学士取得。イリノイ大学(シカゴ)にて彫刻を学び、1990 年美術学修士取得。現在はマサチューセッツ州を拠点に制作活動を行っています。Guggenheim Museumをはじめ世界各国の主要美術館にて展覧会を開催。近年ではロンドンのSouth London Gallery、ミラノのFondazione Prada、シカゴのMuseum of Contemporary Art、ロンドン/ビバリーヒルズのGagosian Gallery等で個展を開催しています。
小山登美夫ギャラリーでは98年、01年、04年以来5年ぶり、4度目の個展となります。

ステートメント:トム・フリードマン

35年にわたって、アートのみを作り続けてこれたことを、幸せに思う。35年というと長く感じるが、年をとるといろんなことが見えてくる。若いときは人生に具体性を求めた。インモラルであること、常識をくつがえし、ただただ個性的であろうとする。年を重ねていくと、時間や出来事と向き合い、永遠なものとそうでないものが見えてくる。アートもそうだ。はやりのアート、とでもいうべきか。抽象表現主義、マルクスフェミニズム、などなど。でも芸術論っていったいなんだろう?どこから生まれたんだろう?アートそのものと関係はあるんだろうか?

関係など、あるわけがない。善、悪、自己、他者、流行ってるもの、そうでないもの。すべて頭のなかのもので、アートとは別だ。

アートそのものに、僕は興味がある。長年にわたり、なんのことはない普通の白い紙を相手に思いをめぐらせてきた。手にとり、破き、絵をかき、型をおし、ねじり、時には怒鳴りつけながら、白い紙を変形させてきた。批評家はきっと、「それは前にもやったことだね。なんでまた紙にもどるの?」というだろう。

このたび、REAMを見てもらえれば、一枚の紙が無限の可能性をひめていることがわかってもらえると思う。短編フィルムになる一方で、紙は紙でなくなっていく。紙との格闘から生まれるもの、それはその時々、一瞬にしてつくられるアートそのものであり、時には裏返しになり、時には破けるまで引っ張られながら、一枚の紙は美しい永遠の空間に同化されていき、最終的には“無”の状態へとその姿を変えていく。

何年もの間、鉛筆にとりつかれてきた。鉛筆と自らの関係を考えることにより、その意義を再発見できた。鉛筆は常に僕のそばに、僕のポケットの中にあった。さらには僕の手の中に、道具として、そして僕が作品をつくっていく壁へと移動していく。僕とモノとの弁証法的な関係。二元的な関係の中で、離れ、重なり、一緒に何かをつくり、ただ、そこに共存する。どこからが鉛筆で、どこからがトム フリードマンなのか?

モノへ対する理解を常に新しくしていきたいと思っている。スタイロフォームボール、鉛筆、紙などがもつ従来のイメージを捨ててきた。モノが究極的に意味することを考えつめていく。スタイロフォームボールは小さく、粒子のイメージがある。そこで、実在しない巨大な異次元の“モノ”をつくった。扉のむこうに立っている大黒天のようなモノ。その扉は未知の、 Logic of Starsのような未解明のシステムへと続く。ここから先、僕はどこへ行くのか?未知への探険の答えは、僕の作品の中にあるはず。Black and Whiteもそうだ。素材、色使い。ただそこに存在する、それだけを表現した。

というわけで、Not Something Elseだ。むしろ、Not Something Else!というべきか。主体と対象が常に入れ替わっていく。

何年もまえに禅宗に出会った。犬の仏性に関する禅問答のなかで、禅僧が「犬ではない。ただの犬!犬、犬、犬だ!」と生徒を叱ったという話を聞いて、突然ひらめいたことを思い出す。僕にとっては直接の、直の、そのままの体験がアートであり、人生なのだ。主体と対象はその体験の中で解体や融合を行い、見るものを引き込んでいく。直の体験、アートそのもの、そしてNot Something Else。デュシャン、ニューマン、リヒターの作品や老子、釈迦、デカルト、ハイデガーやブルデューによって導かれた現象論的な考え方だ。

崩れていくビルを想像してほしい。一部は瓦礫となり、一部はそのまま残るだろう。建物は古く、朽ち果て、昔の面影を残すのみとなる。過去からの声が聞こえてくる。そこで生き、死んでいった人たち。そこでこつこつと仕事をした人たち。建物だけが朽ちていく。そんな空間をなんと定義するべきなのか?空間自体は、何も変わっていない。そのままなのだ。

同じように、自分は何も変わっていないのに、突然人生が崩され、名前さえも失ってしまうことがある。金細工職人は古い金細工を溶かし、新しい作品をつくる。時には優れた作品と駄作が一緒に溶かされる。
実際、そんな運命のモノを扱っていると、本当のところは空間そのものを扱い、作品ができていくということに気づく。結局、同じことなのだ。

トム・フリードマン

お問い合わせ先:

[ 小山登美夫ギャラリー 京都 / TKGエディションズ 京都 ] プレス担当:藤川二葉 TEL:075-353-9994

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