
installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Yutaka Watanabe
画面上での感覚や発見を大事にしたい
幼稚園の年少から6年生まで毎週工作教室に通っていました。予備校に通い始めたのは高校2年生からです。小さい頃から漫画のキャラクターなどを真似て描いたりしていました。
はい。兄の真似をして描き始めたのがきっかけで、塗り絵とかもよく描いてたと思います。
「大学をどうしようかな」と考えた時に、小さい頃からのことを色々と思い出しました。ほんとに好きな事をしていきたかったので。「あ、そういえば、絵好きかも!」という気持ちをきっかけに美術予備校に通い始めました。一番自由に描けそうだという理由から、油絵を選びました。
作品の大きさによっても変わりますが、小さい作品なら1 - 3日、大きくても1週間位でほぼ形ができます。その後はしばらく放置して、別の作品を描き始めます。それから本当にこれで十分なのか、という対話をじっくりして終わる。そのような制作方法ですので作品がたまってくるのですが、そうすると「あの作品にはこういうものが足りないんじゃないか」というのがわかってきます。なので制作は同時進行で進めていくことが多いですね。
いえ、色々と描いていて、様々な変化がありました。今回の展示作品のような描き方をし始めたのも、今年に入ってからです。
家の中や空き地といった場面設定は変わっていませんが、以前は登場するものがもっと具体的でした。例えば動物が登場したり、家具が登場したり。そういった具体的なものを配置することによって、まるで連想ゲームのように、意味は薄らいでいくけれども同時にどこかで繋がっている、という曖昧な状況を主題として作品にしていました。
はい。けれど、作品自体を曖昧にしていく中で、僕自身もどんどん曖昧になっていってしまって。当初の目的が宙ぶらりんになってしまったのです。描く動機が薄らいでいってしまった。「これはいかん!」と思い、今年から、そういった要素をばらつかせるのではなく全部一個にまとめよう、全部まとめて立ち上げてみたらどうなるのだろう、ということで今回の作品を作り始めました。
![Yutaka Watanabe [ark#18], 2008](images/Pa0801.jpg)
![Yutaka Watanabe [ark#14], 2008](images/Pa0802.jpg)
![Yutaka Watanabe [ark#14(detail)], 2008](images/Pa0802_detail.jpg)

L to R :"ark#18", 2008 "ark#18", 2008 "ark#18"(detail), 2008 installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Yutaka Watanabe
解体というよりも、再構築という意識が強いです。例えば小さい頃こういう状況があって、廃材が沢山転がっていたとすれば、僕は必ず何かを作りたいと思ったはずです。そのような状況が僕の中にずっとあって、今それを実際にやろうとしたとき、僕の場合は実際に廃材を組み上げるのではなく、この四角い枠の中で立ち上げたいと思った。もし実際に廃材を組んだとすれば、ただそれが組み上がったという形になってしまい具体的な縛りが出来てしまいます。その点、ペインティングであれば材木のような筆致のような、壁のような色面のような、より抽象的なイメージを出せるのではないか、と思いました。
そうですね。題名の《アーク》には、箱船という意味がありますが、一度様々なイメージがでたものをやめて、じゃあどうしよう、となった時に、今でもどうしても忘れられない小さい頃のイメージが幾つかありました。それが空き地やボロボロのお家、材木置場だったのです。そういったどうしても消えないイメージを使ってやっています。加えて、僕らの小さかった頃は、UFOの目撃談や、UMA・オーパーツなど、未知のものの特集なんかが人気で、僕も非常に興味を引かれて。永遠の夢ですよね。そういったものもイメージに関わっています。
確かに身近にはないですね。
ないですね。全部が全部、箱船にしているわけではありません。箱船といっても、普通の人が想像する船の形をしていなくてもいいのではないか、むしろUFOのような形でもありえるのでは。絵画の中で必然的に出て来る形というのは決まってくるし、背景の家の窓の大きさや物の配置によって、手前に描かなければならない形が必然的に見えてきます。その形が船のような形をしている場合もあれば、まだ組み上がっていない、何かの骨組みのような場合もある。
はい、家や窓といった背景が最初に決まります。まず場面設定が決まるのです。このシリーズでは基本的に、空き地があって、あるはずのお家が解体され、いつも見ていなかった向こうのお家が見えて、という状況が元になっています。それをまずつくる。実際そういう状況にあった時に、人は案外ビックリします。普段歩いている道を何日か歩いてなかったらもうそこに家はなく、お家が向こうに見えて、こんな窓の配置しているんだ、とちょっとビックリする。そういう場面設定がまず出てきます。そして、そこの空き地に再構築する形が選ばれる。
はい。
![Yutaka Watanabe [ark#15], 2008](images/Pa0803.jpg)
![Yutaka Watanabe [ark#15(detail)], 2008](images/Pa0803_detail.jpg)
![Yutaka Watanabe [ark#9], 2008](images/Pa0804.jpg)
![Yutaka Watanabe [ark#7], 2008](images/Pa0807.jpg)
![Yutaka Watanabe [ark#5], 2008](images/Pa0806.jpg)
L to R :"ark #15", 2008 "ark #15"(detail), 2008 "ark #9", 2008 "ark #7", 2008 "ark #5", 2008 © Yutaka Watanabe
最初にまず背景の色を何色にしようと、後ろのお家には何色にしようかと。そこから始まって、どんどん画面手前に来ます。実際に見た事があるお家の色ではなく、画面上に描かれたものに合う色を探していきます。
自分はおそらく、色に対する思い入れが強いんですね。僕の夢には色が全くついていません。それって普通のことだと思っていましたが、皆に聞くと、色がある人もいるみたいで。常に色を認識できないんです。人によっては、夢には確実に色がある、という。その話を聞いた時にとても面白いな、と感じました。自分では、ものすごく色を欲しているんですよね。夢のような潜在的な部分に色がなく、だから余計に、僕が欲しているであろう色を使いたくなるのかもしれません。
はい。最初は平で描き、途中から壁に立てかけます。ある程度したら上げないとわからないことも多いので。そうすることでテクスチュアを変えることができるし、(画面の上部に対して)下の方はかっちりとさせたくないんです。影もほとんどつけてません、そのほうが良いんです。状況としてはありえない、霊的な感じというか・・・。
ええっと。例えば知らない人のお家で、築何十年の家に急に入った時に、その家が持っている力みたいなものをゾーっと、ファーッと、感じることがあるんです。リサイクルショップでアルバイトをしていたことがあって、何度も色々な家に入ったのですが、そういう力は確実に存在していました。多分、それは匂いなんかにも関係している気がします。でも、最近はそんな事はおかまいなしにスクラップ&ビルドが進められてますよね。僕にはそれがすごく悲しくて。僕なりのリフォームというか、モニュメントというか。そこに絵画上で必然的な線や面が重なって、イメージが下からフォアーっと立ち上がるんです。以前は理詰めでやっていましたから、全てについて説明しろといわれたら、説明ができてたんですよ。でもそれって全然面白くなくて。だから今、言葉を求められるということに若干抵抗がありもするんですが・・・。画面上での感覚や発見を大事にしたいんです。今回の展示も全ての作品について、ドローイングを全くしていないんです。キャンバスを貼って、置いて、そこから全部決める。インターネットの画像や写真を参考にすることもありません。最初は鉛筆で描くのですが、色が付いたら付いたで、鉛筆の線はほぼ消えてしまいます。またそこから、発掘するように形や色を探っていくんです。(塗りながら)この状況で何が見えてくるんだろう?というのを常に更新して、形を決めていきます。
はい。リサイクルショップでのアルバイトを3年ほど続けていたことが、家のモチーフが多い理由の一つだと思います。あとは、僕は中学生までずっと社宅に住んでいましたが、周りの友達はほとんど一軒家に住んでいたので「いいなー一軒家」という単純な憧れも根強くありました。ずっと東京近郊に住んでいましたから、地方にいた人の見ていた景色が山や海、空であるように、僕の見ていた景色はほとんどが一軒家だったんですよ。
はい。こちらのほうがリアリティーのでる空の大きさなんです。逆に大きく空をとってしまうと、不安で仕方がなくて。
今、平家に住んでいます。大学在学中から一人暮らしを始め、最初はアパートやマンションに住んでいました。卒業後、アトリエ兼住居にしたい、と思った時にたまたま平家が安くなっていて、日当たりは悪いけれどちょっといいところだったので。
住んでいた場所が、30分で下北沢、新宿、吉祥寺、渋谷に行けるところだったんです。そういう環境で中学生まで過ごしたので、ネオン・工業製品などの色のほうがずっとリアリティーがあるんです。大学に入ってから自然を眺めて「あの景色綺麗だね」と言われて頷きはしても、実は全然リアリティーがなくて。家の近くにそれなりの自然はあったのですが、結局は人為的に造られたものですから。僕にとっては夜に光る窓の形とか、ネオンの大きさ、といったもののほうがリアルです。地方で育った人が山に遊びに行くように、ぼろぼろの空き家に侵入したり、お家に囲まれた空き地で遊んだりしていました。ネオンの色だったり、自分の好きなゼリーの色だったり、人工的なものからのアプローチのほうが強いですね。
中間地点にするようにしています。木になり過ぎないように、材木になり過ぎないように、といったように。それが実際何なのか、わからなくてもいいんです。言語化できないところに面白さがあると思います。
少し前は美術というものにすごく縛られていて、その事が嫌になってしまったんですよ。僕は美術のために絵をやっているわけではない、もっと単純に、見てみたかったものがあったんじゃないか。と考えた時に綺麗に(美術の部分は)括弧でくくれたように思います。その上で制作をすると、案外美術という枠内でも考える事が楽になりました。その分、作品に対してしなければならない事・してあげたい事が明確に見えてきたので、今はそれを発掘している感じですね。