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installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Hideaki Kawashima
長く続けている作家の、
モチベーションのありどころはどこなのか
多分、(自分の絵とは)象徴的な感じの女性像っていうことで引き合いに出されているのかなって思うんだけど。僕、東郷青児ってあまり知らなかったものですから、あれを機会に本を見たりしているんですけど、その中に、裸のモデルさんを立たせて描いてる写真があったんですよ。でも東郷青児のあの絵を見れば、わざわざモデルさんを前に立たせるまでもなく描けるだろうって思います。その写真自体、説明的に入っていただけかもしれないし実際の状況は違うのかもしれない。でも、その写真のように、生身の人間を目の前に描いているのだとしたら、手癖みたいなもので描けることと、ちゃんと見てそこで何かを見つけて描くっていうことがあるのかと。僕は久しくそういうことをやってもいないし、やってみてもいいかもしれない。いつの間にか自分の型みたいなものをつくってきてやってきたけれど、このまま10年20年続けるっていうわけにはいかないなって。改めて、他の作家の人たちが、長く続けるモチベーションのありどころはどこなんだろうというのが、すごく興味がありますよね。
作品が生まれてくる経緯っていうのは、意外と純粋に描きたいものだけを描くっていうのは無いんじゃないかと思って。例えば、締め切りに追われていたとか、むしろがっかりするような事情で描かれたようなものでも作品としては名作として残っていたりする。だから僕も、自分側から自分の作品を見ると、とにかく「描けなかった」ということだけど、この展示を見た人はその描けなかった部分は見てないから、最初からこういうものとして見るんでしょうね。だけど結局、僕としては全然描けなかったっていう敗北感みたいなもののほうが強いんです。でもまあ…これはこれでいいんだって言い聞かせます。
あるよね。それは僕もそうだけど。さっき言った、締め切りに追われてという話は、手塚治虫のドキュメンタリーを見たときに感じたことでもあって。彼はあまりにも締め切りに追われすぎてて、しかも何本も同時進行で連載してるから、描いてる時に違う作品の編集者から電話がかかってきて、つじつまがあわないからどうのこうのと言われたりしていて。よくそんな状態で話を考えたりできるなと。
でも、僕たちは残された作品を面白いと思って読むし、破綻も無い。あんな状況で描かれたんだと思うとすごいなあと。(逆に)作家自身がすごく満足して描いたものであっても、案外それはその通りには受け入れられなくて、つまんないって思われることもあるだろうし。僕としては、今回はうまくいかなかったなあって言う感じばかりがあるけど、見る人からすれば、そのほうが却って面白いのかもしれない。



L to R: "conclusion", 2008, acrylic on canvas / 162.0 x 162.0cm、"floater", 2007 / acrylic on canvas / 130.3 x 89.4cm
"glance", 200, acrylic on canvas / 91.0 x 91.0cm、"anxiety", 2008 / acrylic on canvas / 91.0 x 91.0cm
installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Hideaki Kawashima
これは最後に描いた絵だけど、ネタがあまりにも無いものだから。真ん中に左右対称に描くなんて禁じ手にしていたんだけど・・・。
目ん玉はなるべく最後のほうまで描かないようにしているんです。描いちゃうと僕も見入られちゃうし、飲まれちゃう。目を描き込んでしまうと、そこでできちゃって(完成しちゃって)見えるんです。多分目になんか入れると、宿るみたいなことがあるんだと思いますよ。
色は苦手です。基本的にモノトーンなんですよ。いろんな色をたくさん使うのが苦手だから。
いや、そんなに複雑じゃないですよ。その薄いしゃびしゃびな状態のものを重ねたりとか。しゃびしゃびって方言か。(注:しゃびしゃびは名古屋弁で、水で薄まったような、の意)白っぽいのと、そのしゃびしゃびの、チューブの生の色。
眉毛がついたしね。
眉毛って意識的に避けてて、眉毛描いちゃうと、表情が出ちゃうんですよ。言葉を持ってしまうからあんまり描かないほうがいいかなと思ってたんです。でもそれが、だんだんアイコン化して動かなくなっていく感じが自分の中であって、融通が利かないし、自分でもちょっと固いなあと思って。
眉毛を足したがために顔全体のプロポーションが、よりリアルなプロポーションに近づくというか、意識せざるを得なくなった。もっと前の絵だったら極端に目がでかいとか。そういうふうに描いてたものが、より普通っぽくなってはいると思います。これでもリアルなプロポーションじゃないけど、一応この辺に耳があるんだとかそういうことも、描いたり消したりしているし。
なんか、自分で作っちゃった型みたいなことが最近はやっぱりちょっと苦しいのかな。それをどうやって崩していくのか。どうなのかなあ。



L to R: installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008、"impossibility", 200 / acrylic on canvas / 53.0 x 72.5cm、
"cool", 2008, acrylic on canvas / 53.0 x 41.0cm © Hideaki Kawashima
……総じて鬱ですね。鬱ベースで。
例えば、右側の絵("anxiety”)は、1月の小出(ナオキ)君のオープニングのあとに酔っぱらって転んで、前歯を折って顔中傷だらけになった直後に描いた絵で、感情の針がぶんぶんに触れてて、でも意外と絵はそうでもないですね。一週間くらい描いたものを潰して、もう一回描き直して、一週間くらいで描いたかな。鏡見る度に死にたくなるような日々でしたけど。傷だらけで、前歯が欠けてて。
その左隣の絵("glance")がその直前まで描いてた絵なんです。小出君のオープニングが丁度アグネス(アートフェア「ART @AGNES」)をやっていた時で、行く前に左の絵を完成させて、行って数時間後に前歯を折って、その後描き始めたのが右側の絵。今見ると、型みたいなのが強くなりすぎてて、そんなに生々しいものでもないのかもしれない。
(大きい絵を)二回潰したあとに、"cool"と"impossibility"を。小さいのだったら描けるのかなと思ったけど、それもまた苦し紛れで。
うん。"impossibility"っていうタイトルにしたのは、描けません、っていう。(絵の表情は)描けなかったっていう顔ですね。
そう、そういう感じのイメージですよ。「描けません」って(笑)。なんか余計なことばっかりしゃべっちゃったなあ。
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