作り上げた型を、どこからまた壊して広げていくか

仏教的な主題も時々出てきていましたが、ついに涅槃図("Nirvana")が登場しましたね。

大きい絵を想定して、大仏で、涅槃仏、ワットポーとか涅槃仏から寝そべってるようなイメージで描き始めたから、ただそれだけ。最初は違ったものを描こうと思っていたんだけど、描いているうちに何を描いていいのかわからなくなってしまって、窮しました。
必死に何かを探していてたまたま横長…長細めのキャンバスだから横長ということを意識して、寝そべってるようなイメージっていうことから涅槃仏っていうのがでてきて。だけど、(完成した作品は)あんまり寝そべってるようにも見えないし、わざわざ涅槃って言うタイトルつけなくても良かったなと思うけど。

installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008

"nirvana", 2008 / acrylic on canvas / 182.0 x 259.0cm
installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Hideaki Kawashima

でも表情とか、髪の毛のただよい具合からなんとなく連想はできますよね。これが今まで描いた中で一番大きい作品でしょうか?

いや、もっと大きいものもありました。横浜美術館の「アイドル!」展では、この横幅と同じくらいの正方形の作品を出していました。

なるほど。

今回、会場にあわせてこの大きさを選んだんだけど、会場が大きいからって無理に大きい絵を描こうとすると失敗するということがすごくよくわかりました。
(制作の過程で)同じ大きさの絵を二回くらい失敗していて、それで一ヶ月くらいロスしていたし、その時点で個展をやめようと小山さんに相談したこともあったんです。

失敗したとおっしゃる場合というのは、どこで止まってしまうのでしょう。完成できないということですか?

普段から割と行き当たりばったりです。綿密な下図をつくらないままで描き始めてなんとかする、というやり方で。これは画面が大きいこともあったのでしょうが、描いてるうちに完成予想図がぐらぐら変わってきてしまって。描けば描くほど完成が遠のくっていうか。イメージが定まらなくなっていく、という感じで。

きっちり決めないで、ある程度触れ幅をもたせたいという。

今までも潰すことはあったんだけど、今回は(ロスしたことで)残り時間が少ないという事情もあってすごく焦りました。純粋に内容をつきつめていった結果、というよりは、なんかこう、今、描けないなりになんとかしなくちゃいけない、描きたいというものがはっきり分かってなくて、描けば描くほど迷っていくという感覚で。初めて、すっごく焦ったんですよ。とにかく、描けない!と思って。

一昨年以降たくさん展覧会が続いて、水戸芸術館(2006年、「ライフ」展)で出された同サイズ10点の作品、横浜美術館(2006年、「アイドル!」展)で公開制作をされた大きな作品、韓国のギャラリー(2007年、Kukje Gallery)での展覧会、と、休み無く制作を続けられて来たと思いますが、今回はいつもと違っていたんですか。

意外と人から見れば同じように見えることでも、自分としては細かい違いを持たせていて、それをまた動機付けにしたりするんだけど、今回は、そういう小さなアイデアが枯渇しているような感じ。余裕が無くて、必死に出し切ったって感じで。もう、かなり苦しかったです。

installation view at Art Tower Mito, 2006installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008installation view at Kukje Gallery, Seoul, 2007installation view at Tomio Koyama Gallery, 2005

写真左・installation view from "Life" at Art Tower Mito, 2006 撮影:冨田里美、写真提供:水戸芸術館現代美術センター
左中央・「アイドル」展出品作品、"heaven", 2006 / acrylic on canvas / 259.0 x 259.0cm / Photo:Moriyoshi Sugaya
右中央・installation view at Kukje Gallery, Seoul, 2007 右・installation view at Tomio Koyama Gallery, 2005  © Hideaki Kawashima

でも、とても良い作品だと思います。

いや、良い作品かどうかは分からない。個展のタイトルの「wavering」っていうのは、そういう定まらないっていうことでもあるし。個展自体を延期しようかって話になったときに、じゃあいつになったらできる、ということになるだろうし、却って、そっちのほうがプレッシャーになっちゃうから、現状を出してしまったほうが、次につながるんじゃないかと思って。

描きたいことが分からないとか定まらない、というのは、いろいろな表現ジャンルで、川島さんの世代の人やもっと若い人も持っている空気であると思います。
今回の展示では、最初に、表情みたいなものをつくったり、自分自身からは少し距離を置いたものを描くと川島さんがおっしゃっていたので、私はかなり作り込まれた像を想像していたのですが実際に観てみて、新川の個展(2005年 「mutability」/ 小山登美夫ギャラリー)を思い出しました。あれから、時が経って今こうなっているというつながりが見えた気がします。
というのは、例えば「アイドル!」展ではアイドルという主題があって、後光がさしていたり、薔薇が散っていたり、いわゆるアイドル、偶像とは何かを読み解くための演出がなされていたようだったので、そういう仕掛けのようなものが本展にもあるのかと想像したのです。けれどまた、新川のときのようなシンプルな形に戻ってきたような感じがします。

うん、基本的には変わっていないでしょうね。新川のときに大体出来上がっていた型みたいなものがあって、それをふまえたものがここ最近ずっと続いてきたように思えます。今回でもそういう流れのものだけれど、だからまあ……いよいよ、続かなくなったっていう感じなんじゃないですかね。
・・・・・・僕ね、インタビューとかやらないほうがいいんですよ。作品だけをポーンと投げていたほうが良い。僕は、自分はこう思っていた、というふうにしか作品には向き合えないし、人にどう見てもらおうということを考えないものだから、往々にしてネガティブになりますよ、やっぱり。

私たちはそれこそが知りたいのだと思いますよ。描いてる本人がどういう気持ちで作品に向かっているのかを。

installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008, 2008

installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Hideaki Kawashima

モチーフが顔ということで続いてきて、そうすると自然と、顔の表情と形と、それぞれの色、背景、というふうに、どんどん要素が絞られてくると思います。次はどういう試みをしようか、という答えが出しにくくなるのは当然と言えば当然ですよね。極端な話、涅槃図だったら周りにもっと何かあるかもしれないとかそういう変化ではなくて、この形にとどまらせるものがあるというか。

(要素を)どんどん削っていったのも、自覚的にやってきました。横浜のときなどは、背景を描き足したりもしたんですけど、顔以外の要素は説明的になるんですよ。本当はこの"nirvana"も、最初は描き足す絵を考えていたんです。具体的に言うと泡を描くというようなことを考えいてたんですけど、そういうことするのがあざといなと思って。泡という言葉に頼ろうとしてるというか。泡イコール、諸行無常みたいな。

意味が生まれてしまう。

泡が描きたい、というより、泡っていう言葉が必要なだけで。
そこからもう、背景は無しにしようと決めました。だけど、そういうふうに削っていくと、結局描かれてるものがどんどん絞られて、アイコンのようになっていって同じ事になる。それをどこからまた壊して、広げていくかということが問題なんだけど。
今回は構図も少し意識して、例えば真ん中にぼんって描かないようにするとか、できるだけ、象徴的な感じよりはある一場面、というイメージでやってみました。漫画の一コマみたいな、吹き出しが一つ入るような構図というのでしょうか。

わかります。

で、もっと、それこそ胴体も手もあって、そういう普通な人を描いてもいいかなとは思うのですが。今回も描く過程の中で、本当のプロポーション、肩の線もあったりする感じに描きかけているんですが、下手糞すぎてこのままでは見せられないというような感じもあり。また、そうやって描いてみると、自分の絵じゃない気がするくらいに自分の型が備わってる部分があって。
ある時ガラッと違う絵を描き始めることはないだろうけど、このままで良いとも思っていないですよ。だいぶ苦しいなあという感じはしています。

描いている対象が自画像のようだという感覚について、変化はありましたか。

最初は、何も見なくても顔ってのはやってるうちになんとなく描けてたんだけど、最近そういうのもできなくなってきて、ファッション雑誌の写真を照らしたりとか、リアルな人間のプロポーションはどうなってるんだろうかとか、そういうことを気にし始めて、独善的に自分のキャラクターを描くということができなくなってきました。だったらいっそ、モデルさんみたいな人を前において、そういうものとして描くことをやってみてもいいのでは、とも思うし。
最初にぽいぽい描いてる時は自画像という観念的な感じじゃなくて、キャラクターを描くような感じだったと思うんですね。誰に似せる訳でもない、自分のキャラクターというか。

例えば仏像とか、マリア像とかそういうものを作っているような感じはないですか?

そういうことかなと考えて今までやってきたし、そういうふうに言ってきた部分もあるんだけど、型ができてくると、だんだんそれはそれで飽きてくる。仏像って様式美で、全くゼロから創っているわけではないから、仏像作りの様にはやっぱりいかないっていうことなんですかね。

宗教美術として確立している世界ですしね。やはり現代アート、という文脈に置かれると、全く違うものなのでしょうか。

完全に様式美みたいなものがあって、その中でやっていくのが良いんだと思い切れていれば、より前向きにやれるような気がしますけど。自分の我みたいなものを出そうとするから却って苦しいのかもしれません。
例えば、普通の肖像画みたいなものを描くのは怖いとか。こんな絵は他の誰かでも描けるんじゃないかとか。そういう、よこしまな部分ですよね。オリジナリティ信仰というか。何か人と違うところがないといけないという脅迫観念でしょうか。

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