
生きている者、他界した者も"家族"という形のなかでは、その存在は永遠。
----前個展"marriage"のその後を追う展覧会。初期の個展から現在までを振り返りながら辿る、小出ナオキの"In These Days"。
インタビュー / 小山登美夫ギャラリー
Photo / Artist : 細川葉子
Installation view : 岡野 圭、渡辺郁弘
installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008
© Koide Naoki
身近な人に焦点をあてる
通算4回目ですね。



写真左から:『undead family』2003
『二人の浴室』2004
『marriage』2006
photo / Yoshitaka Uchida
ほぼ一貫しているところで言えば、自分の身のまわりで会ったことがある、あるいは関係性のわかる人を主にモチーフとして扱っています。なぜかといえば、つくるときにその人を投影してつくらないと、自分のなかで合っているのか合っていないかがわからなくなってしまうのです。そういう意味で、全く未知のものよりは、わかる、話したことのある、よく見たことのあるものをモチーフにしています。常に、自分のまわりの人のほうがよりつくりやすいな、というのがありまして。

"cat(brown)", "flog(blue)", "giant salamander(purple)", 2006
© Naoki Koide
動物に関しては結構偏りがあります。飼っていた犬も登場します。カエルは昔、絵でよく使っていたモチーフでしたので、また使ってみたり。爬虫類にしても家のまわりにいるものですね。大山椒魚については、当初は大山椒魚ではなくトカゲのつもりでつくっていったら、山椒魚っぽくなってしまったという経緯があります。
基本的には見たことのある、あるいは想像のつく動物。そのほかは動物といっても、弱くてぶらさげられてしまったり、生贄になりやすそうな、食べられちゃうような、あとは人間に飼われているような動物。つまりそういうところで、身近な、というところは変わっていないのです。自分にとって、わかる、ということが大事なんですね。写真でしか見たことのない動物はあまりないですね。ただ例外的に、カバとクジラは生で見たことがない。というのも事情がありまして、「こういう作品をつくれないのか?」といわれ「つくれるよ!」とつくってはみたのですが、それだけではなかなかしっくりこなかったので、作品として発表するのは考えました。結局、あとから人形を上にのっけて加工し、自分の作品にしました。
そうです。「つくってやろまいか(注:名古屋弁で、つくれないはずがない、の意味)」「つくれるよ!」みたいなね。(笑)
まだ結婚はしていません。その関係性が微妙だからこそ、「カップル」なのです(『二人の浴室』展の英題は“A Couple in the Bathroom”)。そういうシチュエーションも大事なんですよ。
最初に家族、すなわち『undead family』をつくったときに、母の死という自分にとって大事なことがありました。それゆえに、家族をつくらなきゃという気持ちが芽生えたのです。それまでの作品は、例えば『バット少年』もそうでしたが、家族とは関係のないところにありました。それが急にきゅっと身近な人に焦点が絞られるようになったのです。それ以降はもう、身近な、わかる人に限定されていきました。



"picnic with undead",2007とその後部ディテール
FRP, acrylic, urethane, lacquer, light / h.2,600x w.2,400xD.3,100
installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Naoki Koide
はい。今回、大きな立体3点が1つのシリーズとして行列をつくる、というのが当初のアイディアでした。先導役が《pilot》、そのあとに《new home》のカップル、一番のおおとりが《picnic with undead》。《picnic with undead》は、元々のイメージではこんなに大きくありませんでしたが、立体の上に人形をのせ、上から見下ろしているという構図はある程度予定していました。というのも、よく中国や日本の建物では、屋根の上に人や動物、守り神、仙人などがのっかっていますよね。最初は立体の中をくりぬいてはいなかったのですが、人が入れるほうが面白いということで入れる大きさにしたら、ここまで大きくなってしまいました。本当はもっと腕がたくさんある予定だったんですよ。
そう。それで、要らないものを省いていったらこのような形に落ち着きました。
手前の男女が僕ら夫婦で、母、去年の初めに亡くなった祖母、祖父。母、祖母、祖父は、僕が生まれてから他界した人たちです。
そうですね。中に絵を描きたい、という気持ちがあったんです。それと、たくさん絵を描いていくというのも、今回やってみたいことのひとつでした。以前は人形をバーッと全部塗り、いわゆる人形ひとつ、顔や身体が塗れれば完了だったのですが、今回はものの色を塗るというよりも、その上にとにかく絵を描く、ということを思って制作しました。
ひとつの人形なら人形をきっちりと仕上げなければならない、というのが強迫観念としてありました。今回は《picnic with undead》から塗り始めたのですが、「これは雲っぽい」「では、きっちり仕上げるってどういうふうにすればいいんだ」「じゃあ、もう塗り分けなどは関係なく、どんどん思いつきで描いちゃっていいのかな」と、開き直ってしまったのです。そうしたら楽しくなってきました。外側と内側とでは描き方を変えています。外側を制作しているときは、まだちゃんと仕上げなければという頭が残っていました。外側がだいたい出来上がってきてから内側にとりかかったのですが、内側はもういいや、とにかく好きなものを描こうとなりました。

"pilot",2008、
FRP, acrylic, urethane, lacquer, light, wood, carpet / h.2,100x w.1,000x d.900 (pedestal: h.200x w.1,200x d.800)
installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008 © Naoki Koide
そう。そうしたら、するすると描けた。「あ、描ける」と思って。《pilot》を塗るときはもはや、最初から綺麗に仕上げることを念頭に置いていませんでした。べちゃべちゃと、足し算しかしていない。足して、足して、最後だけちょっと引いて。
はい。一つの塊を一つの主題として完結させようとしていました。しかし、こちらの作品(《pilot》)を制作していたときに、そういうやり方でなくてもやっていける気がしました。この作品を制作してみて、最初はどんどん汚くなっていってどうしようかな、という気持ちがあったのですが、描きだしたらどんどん楽しくなっていって。一番楽しかったです。
クリアを塗る前にはもっとざらざらしていて、くすんでいますよ。
刷毛ではなくエアガンを使ったり、ディズニーランドのアトラクションの仕上げみたいに、吹きつける粒を大きくしてツブツブの跡をだすなどしました。はじめから決めてやらずに、その場で塗りだしているんです。ビャーッと塗って、ダメだったら拭いて。絵をつくるのとほとんど同じです。

"The guard (devil)",2008、
acrylic and lacquer on wood / 850 x 220 x 220cm © Naoki Koide
前々から木彫を制作してみたかったというのはあるのですが、木彫に手をだすのが怖かった。うまくできるかわかりませんから。この作品より前に一点をつくってみて楽しかったので、もうちょっと大き目のサイズでつくってみようと思って制作し始めました。FRP作品のなかでも、クンストハウスの上にのっているようなつるつるに仕上げるのではなく、ざらざらに仕上げたFRP作品の延長のような感じです。FRPは一度形をつくると形は変わらないのですが、木彫は着彩した後でもまた彫れるというのが異なる点ですね。
変わりました。木彫は、色を全部つけて剥ぐということもできます。足すことだけはできないけれども、どんどん削って塗って削って塗って、木彫制作にはあまりストレスを感じませんでした。
鎌です。木彫のベテラン作家には怒られちゃうような作り方だと思います。ベニヤを切って、釘をガンガン打って付けた。つくるときも、元々この形にしようと思っていたのではなく、木彫をやっている山本桂輔君から「これ要らないんですよ、薪にでもして下さい」という木片を何個かもらってきました。
3つのパーツからつくりました。頭のパーツは顔っぽい木片から、身体は木の端の丸い部分。そうすると足のパーツも必要だなと思って、もう一個木片をくっつけた。
これらはドローイングを描くうちに、その中でストーリーができて、そこに登場するキャラクターなんです。今回の作品では《new home》のカップルが最も明るく、徐々にダークサイドのキャラクターがでてきます。《picnic with undead》にもちょっとダークな部分があり、《pilot》はよりダークな、一番の悪キャラです。《The guard》は、ドローイング《in these days》を仕上げたときに生まれたキャラクターで、これを木彫にしようと考えたのです。
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