
そう…モデルの大半は昔の映画、だいたい1950年代、1933年、1960年代初頭の映画に登場する人物。ハワイでは、昔の古典的な映画ばかりが常時放映されているチャンネルがあるんです。登場人物の多くはそれらの映画に由来してます。具体的にいうと『The Final Round』はボクシング映画で、このプロボクサーが主人公です。
いいえ。大抵はおおざっぱかな。
映画を観ていて、その中にすごく好きなキャラクターがいた場合は、テレビ画面を写真に撮ったりすることもある。でも、それをそっくりそのまま表現しようとは思いません。実際、構図に変化を加えたりもするし。ペインティングにしようとすれば、自然とその人物自身が変わってきますよね。完璧なコピーには決してなり得ないはずです。
映画が動き始めるようにして、物事は起こる。例えば、なぜか、彼の歯が犬歯のように生え変わってくる。そうなってしまえばもう彼は、全く違う文脈にある違う人物へと変化したということになる。
いいえ。これらのペインティングはすべて自立した作品です。ただ、今回はサイズが大体似ているのでそう見えなくもないけれど。いつもランダムな感じです。 結果として、時にはペインティングが絵コンテのようになることもある。でもこの質問の答えは「ノー」ですね。総じて、私の作品はある種小さな断片といえます。
その通りです。原美術館で展示したシリーズは、私が長い期間制作しているシリーズの続編です。時として、それらの作品はひとまとまりになっているので、永遠に同じ次元に存在することになりますね。(そのシリーズでは)紙のサイズや全ての点で、一つの枠組みにこだわっています。ペインティングが私にとっての日記といえるかもしれない。日記よりも頻繁にペインティングを描いているし。
![[Pops] Jason Teraoka, 2007](images/work1.jpg)
![[Cheeeese!] Jason Teraoka, 2007](images/work2.jpg)
あのペインティングは、第二次世界大戦に出征していた父を描いたものなんです。父は今年(2007年)4月に亡くなって。それでペインティングを…もっていた古い写真を元に描いたんです。
そう。この展示が終われば、私はあの作品を母にあげたいと思っています。母はまだそのことを知らないんだけど。
描いています。誰かが亡くなると、たくさんの古い写真やモノが残されますね。私は家族のシリーズを制作してきたし、とても良い経験になったと思ってます。いろんなことを整理できました。ギャラリーにある作品といい、私にとってペインティングがあるということが幸せなことだと思う。座って、いろいろなことに思いを巡らすことができる。それはかなり素敵なことです。
この少女は、CDジャケットの背景に載っていた子なんです。たしか裏面だったかな。古い写真が使われていて、その中にこの子が、奥の隅っこらへんに立っていてね。不思議と興味をひかれた。
不思議なことに、時々群衆の中から特定の人々だけが浮かび上がってくることがあるんです。たいていは古い写真や広告などからモデルを見つけるんで、そんな時にね。自分でも不思議だった、なぜこの少女を描いたのか。このCDジャケットにはたくさんの子供が載っていたのに、この少女が目に飛び込んできたんだから。
まだないですね。ひとつ問題があって…私のアトリエは非常に小さいんです。そのことに苦しんでいます。頭部だけの作品でさえサイズが大きくなってしまえば、制作時にうまく遠近感をとれなくなってしまう。大きな作品は映画のように、多くの出来事を描き込むことができるから、是非とも手がけたいと思っています。小さなシーンが繰り広げられ、キャラクター同士が関係性をもっている。そんなビネット(肖像写真)を制作してみたいけれど、今はともかく空間の問題があって。 言い訳になってないと思うけどね…。
今の質問はまいったなあ。痛いところを突いてくれてありがとう!(笑)
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