Stephan Balkenhol : シュテファン・バルケンホール

ARTIST   INTERVIEW

「回顧的な役割をしてくれている展覧会となった」という本人の言葉の通り、バラエティー豊かな新作を披露したシュテファン・バルケンホール。展示を終えたばかりの展示室を巡りつつのインタビュー。

インタビュー・訳 / 小山登美夫ギャラリー

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installation view at Tomio Koyama Gallery, 2007
写真左から"tall figure"、"man without trousers"、"figure (man)"
© Stephan Balkenhol

生存と実存

まず、この展覧会の作品の選択について聞きたいです。特定のテーマやコンセプトはあったのでしょうか。

一つのテーマや、アイデアはありません。この展覧会は私の制作活動の中の異なるグループから成り立っています。レリーフがあり、風景があり、建築がある。そして抽象に対する具象の彫刻がある。選択については、少し日本の文化を意識していたかもしれません。日本の伝統的な美術品や、掛け軸に描かれた風景の捉え方などに。

日本の美術に関しては調べたりなさったのでしょうか。

いえ、してはいませんが、日本についての、自分の中の視覚的な記憶に基づいています。哲学的にもたくさんの要素が関係していると思います。特に、“空っぽであること”と“虚無”について。また、“生存していること(Being)”の可能性。生存していることは、より実在していることに近くなります。ここにある全ての作品は、生存することと、人間を具象化するということの実存的な研究です。私たちが自己をどう見ているかということと、私たちが自己の像を自己のために見つけられるかということです。
この展覧会は、私が過去20年間どのような仕事をしてきたかをお見せできる回顧的な役割をしてくれています。私は、社会的なつながりも暗示もない人や出来事や結果を描写してきました。私が創る人物は、ただ、“誰か”であり、名前はありません。それらは肖像ではなく、想像上の人物ですが、誰かになり得る可能性もあります。だから彼らは決して表現豊かではありませんが、何か特別な表情をもっています。それは、彼らの身振りについても同じことが言えます。不特定であり曖昧な人物像である彼らは、鑑賞者である私たちに様々な表情や気持ちを喚起させてくれるでしょう。

Stephan Balkenhol

"woman in red uniform", 2007
douglas fir, painted
170.0 x 24.5 x 24.5 cm
© Stephan Balkenhol

では、意図的にありふれた服装や表現を選んでいるのですね。

はい。しかし、それだけではなく、少しは遊びの余地も残しています。そこの制服を着た女の人(「woman in red uniform」)などはそうですが、ありふれた物同士を意外なふうに組み合わせるのも好きです。人物を変わった服装にしてみたり、たまに変装させたりもします。

「woman in red uniform」は全体的なインスタレーションの中でとても良いアクセントになっていると思います。いつも違う種類の作品を混ぜるのでしょうか。

そうですね。特に今回は、初めての日本でのギャラリー個展ということもあり、私の好きなテーマや作品群のバリエーションを提示するのにとても良い機会だと思いました。

本当にレトロスペクティブの様ですね、動物の彫刻はもう創らないのでしょうか。

ときどき創りますが、今回の展覧会のためには創りませんでした。もし、もう一つ部屋があったら動物で埋め尽くしたかもしれませんが(笑)。

匿名性と動物のモチーフは関係しているのでしょうか。

動物は別物です。作品のためにも、今回の展覧会のためにも、人間だけに焦点をあてる人間中心的なものの見方は良くないと考えました。動物や自然など、まわりの世界も見渡すことも大事なのです。しかしまた、動物に対して人間は自分たちのことを投影する傾向に有るとも言えます。
例えば“ライオンは誇り高い”とか、“蛇は意地悪だ”とか。この様な表現は人間の性格が動物に投影されたものであり、私たち自身は知らず知らずのうちに動物に変装し、自然と人間界を行き来しているのかもしれません(笑)。しかし私の中では、動物の作品はその中間にあると考えています。
一方では動物の肖像であるとも言えますし、また私の動物の見方でもあり、人との関係における動物への思いでもあります。私たちは動物を理解していると言えるのか、それとも恐れているのか。特に、人間と動物が一緒のシリーズでは、私には愛情と攻撃性が混ざり合ったものに見えます、もしそこに人間の集団とライオンの群れがいたら、私たちは人間がライオンと遊んでいるのか、ライオンが人間を噛もうとしているのか、戦っているのか、愛し合っているのかわかりませんね(笑)。おそらく、“生きる”ということはそういうものなのかもしれませんね。人間が生きるということは、戦いと愛情表現の混合体であると言えるのではないでしょうか。

Stephan Balkenhol

前 : "figure (man)", 2007
poplar wood, painted with pedestal (pine wood)
242.0 x 62.0 x 42.5 cm

後 : "man without trousers", 2007
douglas fir, painted
171.0 x 29.5 x 25.0 cm
© Stephan Balkenhol

作品による空間の“歪み”が面白いなと思いました。特に、その二つの彫刻(「man without trousers」と「figure(man)」)の関係性に置いて、まわりの空間を歪ませるようなことをしていると思います。比較的大きいフィギュアを手前に置くことによって、小さい方のフィギュアがとても遠くに置いてあるように見えます。さらなる歪みは、レリーフにも在ると思います。人間という「ポジティブ」な物質を、素材を取り除くことで描いています。作品の中で生み出されるそういった知覚認識の転換と、ギャラリースペースの使い方は、あなたのネガティブスペースが何かに変わるという実存的な哲学思想の一部なのでしょうか。

これもまた、形式的な問題で、私が彫刻を制作する上で試している実験のようなものです。私にとって大事なのは、人物を実物大ではない大きさで創るということです。我々の実寸よりも小さく、又は大きくすることによって、空間内でそこに誰か立っているという気配はあっても、すぐに彫刻作品であると認知できる。興味深いのは、そういった原寸大ではない人間のイメージを見たときに、我々の知覚認識でその差を拡大したり縮小したりして補っていると考えられることです。

Stephan Balkenhol

"tall figure", 2007
poplar wood, painted with pedestal (pine wood)
264.5 x 100.0 x 52.0 cm
© Stephan Balkenhol

どういうことかと言うと、大きな彫刻よりも小さな彫刻の存在感の方がむしろ大きい印象を受けるのです。この「tall figure」は確かに大きいし、物理的な存在感があります。ただ、「man without trousers」は、小さい上に(ギャラリー1の入り口から見ると)かなり遠くに見えますね。我々は遠くへ焦点を合わせる時に望遠鏡のような筒を覗いている状態になります。そうすると、周りの視覚空間は対象物に集中するため狭くなり、逆に対象物のイメージが占める率の方が倍増する現象がおきます。まさにその瞬間、小さかったイメージは飛躍的に広がりをみせるのです。なので、彫刻が小さければ小さいほど周りの空間との関係に気をつけないといけません。
私は、彫刻から得られる中心的な感覚が好きです。部屋に入ると、誰かがそこに立っている。そしてそれが、空間と私たちにどう影響してくるのか。同じ空間を彫刻と共有することによって、自分の立ち位置を再認識する感覚です。
そしてレリーフは、彫刻とドローイングとペインティングの混合体であると捉えています。立体であるのだけど同時に平面でもある、という。

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